最初の主人公は、桜田門外の変に加わったただ一人の薩摩藩士・有村治左衛門兼清。素直で純粋という言葉が当てはまるような若者であります。物語は治左衛門を中心に綴られ、一種の仇討ち物語のようでもありました。ただ、気になるのは筆者が井伊直弼を酷評している点。直弼は政治家でも何でもなく、ただ徳川家の威信を回復させようとしただけの男で、桜田門外の変で斬られることで歴史上の役割を果たした、というように記しております。その主張はわからなくはないですが、少々度が過ぎる気もしました。
この編では人の温かさや義理の美しさが描かれている分、最後の締めくくりには驚きました。現実はやっぱり厳しいみたいです。いや、厳しいというよりは、単純ではない、といった方がいいのかもしれません。
主人公は尊皇攘夷討幕派の志士、清河八郎。類希な才能で一介の浪人でありながら、多くの人を動かし、皮肉にも佐幕派集団の新選組を作ってしまった人です。この編に描かれている清河を見て、拙者は三国志の曹操のような人物みたいだな、と思いました。乱世の奸雄と評された人物です。平穏な江戸時代中期頃に生まれていれば、彼の人生はまったく別のものになったことでしょう。しかし、幸か不幸か、彼が生まれたのは激動の幕末でありました。
成功する人の条件とは何なのか?そんなことを連想しました。一番に来るのは才能だと思うのですが、それだけでは不十分みたいです。才能という面では、清河は十二分に他者を凌いでいたのですから・・・。
慶応3年12月7日の天満屋事件のお話。坂本竜馬の仇を討とうとする陸奥宗光と、竜馬にわずかな恩義のある女性と剣の使い手が描かれております。坂本の弟分だった陸奥や、海援隊・陸援隊隊士らは、自分達のリーダーを斬った敵を斬るという仇討ちでありましたが、女性とそれに関わる剣の使い手は、拙者から見れば命懸けの仇討ちに身を呈するほどの恩はないように思えました。理屈ではわかるのですが、感覚的にはあまり納得できません。これも、時代による常識や文化の違いなのかもしれませんね。
この章の結末はこのように綴られております。
「人の運命など、まるでわからない。」
確かに、そうかもしれませぬ。
姉小路公知暗殺事件を、会津藩士・大庭恭平と薩摩藩士・田中新兵衛の視点から描いたものです。まだこの頃は会津藩が京都に駐屯しておらず、新選組も存在していないため、京都は天誅と称した暗殺事件が横行する状態でありました。大庭は、藩の命令により密偵として京都に入り、敵となる尊攘派浪士と交わる情報収集を始めます。
しかし、仕事とはいえ、暗殺とは悲しいものであります。そして、それに携わらなければならなかった大庭の人生も悲しいものだったと思います。でも、彼は後悔はしていないのかもしれません。彼は彼が信じてきた道をまっとうしたのですから。
冷泉とは、絵師・冷泉為恭のこと。彼は朝廷に出入りし、官位ももらっている人物なのですが、およそ動乱の政局を論じて活動するような人物ではなく、むしろ小利を得て喜ぶような男でありました。ところが、彼が尊攘浪士の暗殺の対象になってしまうのです。彼を襲う立場にあるのが長州藩脱藩浪士・間崎馬之助。同士らが政治的な活動から離れて、思想的に暴走してしまっているのに気付きながらも、それに逆らうことはできずに絵師・冷泉を斬ろうとしている人物です。
冷泉の哀れさも印象に残りましたが、拙者はもっと別の事が強く印象に残りました。「美しいバラにはとげがある。」
次は、大和十津川郷士・浦啓輔の話。大和十津川は古代から天皇に対する忠誠心が強く、また辺境の山奥に位置していることから、水戸藩から始まる初期の尊王攘夷思想が強い場所でありました。その中で育った浦が、水戸藩の学者を斬る企てに参加してしまう、という話です。
次は土佐藩参政・吉田東洋暗殺事件の話。武市半平太率いる土佐勤王党は、吉田東洋を暗殺し、土佐藩の方針を掌握することに成功します。吉田東洋は文武に優れた才人だったのですが、彼の場合は、その才能がかえって彼の寿命を縮めてしまったのかもしれません。
彼に少しでも他者を受け入れる包容力があれば、土佐藩の歴史も、幕末の歴史も変わっていたのかもしれません。厳しい身分制度が敷かれていた当時の土佐藩にそれを求めるのは無理なのかもしれませぬが・・。
次の主人公は、表題にもなっている長州藩士・桂小五郎。彼もまた、文武に優れた武士だったのですが、「逃げの小五郎」という異名がつくほど、逃げることに長けていたようです。戦うべきときに戦わないで逃げ回る、そういう人物は拙者はあまり好きではないので、ここに描かれている桂小五郎もやはり好きではありません。
しかし、新選組が巡回する京都で暗躍し、禁門の変の争乱を逃げ延びたという実績は、確かに凡人にはできない芸当だとは思います。
次の主人公は同じく長州藩の伊藤俊輔と井上聞多。後に、伊藤博文、井上馨と改名して明治の元勲になった二人ですが、幕末の頃の彼らは、師匠の吉田松陰や先輩の高杉晋作らとはだいぶ異なった毛色の人物として描かれております。題名の通り、武士というよりも恐るべき生命力を持った人たちです。
彰義隊とは、戊辰戦争の際、江戸城が明け渡された後も抵抗を続けた旧幕臣の部隊です。徳川家には「旗本八万騎」と呼ばれる直参の武士達がおり、彼らが徳川幕府を守る武力である・・はずでありました。しかし、長い間の平和と世襲制度、身分制度が、彼らの戦士の一面を消し去ってしまったのかもしれません。題名が示すように、あまりに情けない武士がほとんどであります。幕府が滅びたのも仕方ない。そう思える作品でした。
浪華城とは、大坂城のこと。この章は、第二次長州征伐の時に徳川家茂が入っていた大坂城に火を放って、後方を撹乱するという任務を帯びた者たちの話です。結局は失敗に終わるのですが、計略の大きさのわりには、投入する人数や資金があまりに貧弱であり、それでも本気で大坂城を焼こうとする姿には、ちょっと呆れてしまうこともありました。しかし、この計略の遂行にあたって非業の死を遂げた武士の姿は、あまりに哀れであり、同情や憐れみを禁じえないものがありました。
最後の章は「最後の攘夷志士」。この短編集の中では、最も面白かったです。拙者は開国派なので、攘夷という思想は好きではないのですが、ここに描かれている攘夷志士の生き様は、己の信念を貫いた見事なものでありました。また、それとは対照的に描かれている田中顕助がいい味を出しております。薩長の手によって新政府が誕生し、列強との条約改正に乗り出そうとしている時流に逆らい、攘夷を断行しようとする姿は、滑稽でもありますが勇ましい印象も持ちました。強い信念を持つということには、いいことも悪いこともあるでしょう。どちらがいい、とは言えませぬが、拙者は信念を持っていたいと思います。
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