箱根の坂

司馬遼太郎 著
講談社文庫

下剋上の先駆者である「北条早雲」を描いた物語です。若き頃の早雲は室町幕府の礼式を司る伊勢家の一門でありながら、無位無官の鞍作り職人として時を過ごしていました。が、彼は人をひきつける伝統的な教養と、物事の現実を見抜く鋭い見識を持っており、駿河今川家のお家騒動をまとめて頭角を現し、これまでの為政者は誰一人行わなかった農業政策と減税で国人・地侍らの心を掴み、革新的な政治を施しました。旧来の伝統と古ぼけた権威を打ち砕き、歴史を変えていった男を描く傑作長編小説です。

北条早雲の生まれや前半生は謎に包まれておりますが、彼にとってそういうものはあまり意味のないものだったのかもしれません。彼が信頼したものは権勢などではなく、人と人との直接の信頼関係でありました。それこそ、源頼朝以来、連綿と続いてきた武士の原動力であるから、と随所に記されております。この物語の随所で、早雲は自分のことを「旅人のようなものだ」と言っています。浪人中の時はともかく、駿河興国寺城主となった時もこんな感じで正室も迎えずに農民達と共に働き、農業政策に従事していたため、大道寺太郎らの家臣達に心配される有様。もちろん、その後正室を迎え、嫡男・氏綱や三男・長綱(幻庵)が誕生し、家名は続くのでありますが・・。
では、旅人の早雲の行き先はどこなのか?旅の目的は何なのか?この問いの答えは明確には記されておりませんが、答えは彼の人生に見ることができるでしょう。早雲の旅の目的とは、自分が若い頃に見た世の中の現実を確かめる旅(ある意味では実験)だったのです。彼は足利将軍家の礼法を司る伊勢家の一門とはいっても末流の出で、本家の当主からは顎で使われる存在でした。伊勢家伝来の鞍作りも、実際に苦労して作っていたのは彼でしたが、名目上は伊勢家当主の作品ということで、彼の名前が表に出ることはありません。権威はあっても実はない本家と、実はあっても権威はない早雲。実力があるのに、権威はないため末端の生活に甘んじている。早雲の前半生はそう描かれていました。早雲は、都で見た足軽らの実力、守護たちの無知無力さ、そして時代の流れを象徴するかのような応仁の乱と加賀の一向一揆。世の中を動かすエネルギーを持ち始めていた地侍・国人階級と、見栄だけの権威に寄りかかり続ける守護。そんな世の中の動きに、かつての自分と伊勢本家の姿を重ね合わせたのかもしれません。
閉塞した時代を切り開いて行くのは力溢れる若い世代というのが一般的ですが、早雲が初めて駿河興国寺城城主となったのはなんと45歳の時。伊豆を切り取ったのは60歳で、有名な小田原城奪取は64歳の時のこと。以後、88歳で没するまで、戦い続け、民衆を教え続け、領内の武士達の支持を得続けた彼の業績には感服しました。機会を見つけて、史実の北条早雲について調べてみたくなりました。


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