播磨灘物語

司馬遼太郎 著
講談社文庫

主人公:黒田官兵衛(如水)

 黒田官兵衛(如水)は、竹中半兵衛と並んで賞される豊臣秀吉の軍師でありました。特に、秀吉の中国征伐において、官兵衛が果たした役割は大きかったのですが、その智謀の深さを逆に怖れられて、大封を与えられることはなかった、とよく言われている人物です。『播磨灘物語』では、黒田家の出自から丹念に探っていき、山崎の合戦までの官兵衛の人生を描写しています(中津16万石から福岡52万石にいたる過程は、簡単に描かれています)。

 まずは、黒田家の源流が近江北部の木之本から来ていることから始まり、官兵衛の祖父、父の話から始まり、官兵衛自身は登場しません。このような先祖描写によって、官兵衛が受け継いだ黒田家の特色(目薬で成した勢力であることや、君臣の信頼関係など)により説得力を持たせています。この辺りは、筆者の興味とそれに伴う調査の発表のような形式になっており、ちょっとした黒田家まめ知識のような感があります。

<キリスト教の描写>
 官兵衛はキリシタンで「シメオン」という洗礼名も持っております。しかし、高山右近や細川ガラシャのような、敬虔な信仰心があるわけではなく、かといって一向宗に代表されるような仏教勢力と敵対していたわけではありません。筆者は、官兵衛とキリスト教の関わりについては「播州の片田舎豪族の家老の息子が、世間に新しく生まれたものに対して抱く好奇心」の一環としており、決して教条や天国への憧れではない、と記しております。「如水」の号が示すとおり、淡白な好奇心であるわけです。この好奇心に動かされて京に上ったことが、後に大きく関わる織田家とつながりのきっかけとなっていくこと、そしてキリスト教とのその後の展開をうまく結び付けております。

<秀吉による播州攻略>
 この辺りから官兵衛の活躍がピークを迎えます。織田家と秀吉に期待し、織田の旗を掲げることで主家を存続させようとする官兵衛と、旧来の秩序を破壊する信長を敵視し、信長と敵対する道を取ろうとする播州豪族との対立を軸に、小寺家の家老という立場から離れられない官兵衛の律儀さと葛藤が上手く描かれております。荒木村重の謀叛と官兵衛の捕縛は、その最骨頂として描かれ、小豪族の主に見捨てられた家老の悲哀を感じさせます。現代に例えるなら、上司に欺かれた中間管理職のようなものでしょうか。このあたりの人間心裡の微妙な変化に対する記述は一見の価値があるでしょう。

<山崎の戦い以後>
 山崎の戦いで秀吉の勝利が決まった後のエピソードは、「如水」という題名で、官兵衛のその後を駆け足で追っています。筆者は、「秀吉政権における官兵衛の役割は、この時点でほぼ終わり。その後の官兵衛は優れた配下の一員という位置づけになっている。」と見ているわけです。私見としては、関が原における九州での戦いが、官兵衛の才覚の集大成ともいえるのではないかと思うのですが、その辺は要点の描写にとどまっているのが、残念に思うところです。しかし、戦国時代後半に産まれた先駆け的感覚の持ち主の一人・黒田官兵衛如水としての生き様が丹念に描かれており、時代の移り変わりを経済的な視点からも記述しているところが、たいへん面白いと思います。


侍庵トップページへ戻る