最後の将軍

司馬遼太郎 著
文春文庫

徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜を描いた物語です。水戸家という、親藩・譜代の中でも特異な思想を持つ大名家の子として生まれ、その英明さを周囲から期待され、一方では敵視された徳川慶喜は、混迷の幕末を知るうえでは欠かせない人物でしょう。彼を評する言葉に「百才あって一誠なし」というものがあります。たいへん優れているが、他人を思いやる心がなく自分勝手、といったところでしょうか。実際、鳥羽伏見の戦いでは新撰組はじめ、佐幕派の人々を戦場に置き去りにして江戸へ帰ってしまうなど、一軍を率いる大将としてはありうべからずの行動をとっております。しかし、彼の場合はそれに罪悪感を感じることはなかったのかもしれません。冷徹非情と言えば、確かにその通りなのですが、元々徳川将軍家一門とはそういうふうに育てられたものなのでしょう。極端に言うと、天下は徳川家を保つために存在し、幕臣、諸藩、庶民はその徳川家に従う、という性質の時代だったのです。慶喜の場合、たいへん優れた頭脳を持ち、幕府を動かす立場にあり、しかも激動の時代に生まれたため、そういう性質が行動に出てしまったのではないでしょうか。
拙者は徳川慶喜という人物はあまり好きではないのですが、この小説に描かれている慶喜には同情もしました。というのは、彼は孤独な人だったからです。彼の判断の変化の早さに、周囲がついていけなかったためでしょう。物事を的確に捉えて、最も相応しい行動をとることができても、それができない多くの人々から見れば、単に変節が激しい人、さらに言えば口先で人を騙す人だと、思われるでしょう。徳川将軍家が絶大な権力を持っていた時代ならそれでもいいかもしれませんが、徳川家の威信が崩壊しかけている時期に将軍になったのが、彼にとって不幸なことであるかのように思いました。もっと早い時代に生まれて将軍となっていれば、「徳川家中興の祖」と讃えられたかもしれません。そんなことを考えさせられた作品でした。


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