宮本武蔵

吉川英治 著

関ヶ原の合戦が終わったとき、青年・武蔵たけぞうの夢も潰えた。戦で手柄を立て、立身出世を遂げる。
青年が抱いた夢はかなわなかったどころか、敗残兵として命を危険にさらすこととなってしまった。そして、生きながらえた武蔵を故郷で待ち受けていたのは、自分を罪人として捕らえようとする役人と、村人達であった。
「タケゾウ」から「武蔵むさし」へ。二天一流を生み出した「宮本武蔵」の半生を描いた長編小説。
2003年 NHK大河ドラマ「武蔵 Musashi」原作


宮本武蔵といえば、無敗を誇る「二刀流の剣豪」というイメージが強いですが、その一方で美しい水墨画も描き残しています。
この小説では勇ましい決闘場面の描写のみに限らず、武蔵の苦悩・迷い、そして強い意志についてもよく描かれています。武蔵が抱えた苦悩の中には、拙者自身もどこか思い当たる節があることが多々ありました。いや、おそらく同年代の男子の多くが根本的にはよく似ている悩みを抱えているのではないでしょうか。悩みという壁にぶつかったときに、どういう行動に出るか?おそらくここの違いが、その人物の成長に大きく影響するのでしょう。武者修行に出た武蔵は何度も壁にぶつかりますが、それから逃げだすことはしませんでした。誰もやらないような荒行を自ら進んで行い、乗り越えています。武蔵と対比して描かれている同郷の友人・又八は、巷で噂になっていく武蔵に対して嫉妬を覚え、自分も名を上げようと何度も何度も心では思うのですが、そのために出た行動・結果は惨めなものでありました。彼は「名声」という実利を手早く、しかも簡単に得ようとしました。武蔵が得た「名声」は、得ようとして得たものではなく、厳しく、辛く、利益など生み出さない鍛錬を重ねてきた結果だったのです。同年代の二人の間の差は、時の流れと共に大きくなるのでありました。
武蔵・又八以外の登場人物についてもよく描かれているのですが、ここでは特に印象に残ったものの一つである、武蔵との決闘に敗れた名門・吉岡道場の主、吉岡清十郎の心の述懐を抜粋いたします。
「思い上がっていたのだ。父の名声がそのまま自分の名声であるかのように。考えてみれば、おれは吉岡拳法の子として生れた以外、なんの修行らしいことをして来たか。おれは、武蔵の剣に敗れる前に、一家の戸主として、人間として、すでに敗北の兆を持っていた。武蔵との試合は、その壊滅の最後へ拍車をかけただけに過ぎない」

この小説はたいへん長いです。しかし、途中で飽きることなく最後まで読むことができました。他の人が書いた武蔵や、彼が晩年に著した「五輪書」も読みたくなりました。そして、この「宮本武蔵」もまたいつか読み直すことでしょう。

お通像
姫路市を流れる市川に架かる新小川橋東詰にたたずむお通像


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