歳月

司馬遼太郎 著
講談社文庫

主人公:江藤新平

 明治新政府の司法卿として辣腕をふるい、政府の新体制整備に尽力しながらも、征韓論に敗れて下野し、佐賀の乱を指導して反政府運動を起こした人物として知られる江藤新平。彼が世の中に現れてから、佐賀の乱に敗れて処刑されるまでの波乱の生涯と、江藤新平という人間の特異性を描いています。
 明治新政府の司法卿として有名な江藤新平ですが、意外なことに幕末動乱の時期には攘夷行動あるいは討幕運動にはほとんど活動していません。彼が政治の表舞台に立ち始めたのは、大政奉還がなされて鳥羽伏見の戦いが終わった頃だったのです。江藤の出身である佐賀鍋島藩は、藩士の対外交流を徹底しており、その体質は「二重鎖国」と呼ばれておりました。江藤は、佐賀藩の下級武士の家に産まれて貧しい生活を余儀なくされていました。江藤の波乱の生涯は、その「二重鎖国」の佐賀藩を命懸けで脱藩して京都に上ることから描かれています。筆者は、江藤の特徴を、桂太郎に「あれは刑名家(法家)だな。」と言わせることで、「司法卿」という役職に就くことを暗示し、さらには江藤の人柄を一言で表現しています。


<鳥羽伏見の戦い〜戊辰戦争>
 脱藩して京都に上り、佐賀に帰った江藤は本当に貧しい貧しい苦しい暮らしを余儀なくさせます。困窮武士の悲しさを、彼の父親のエピソードを交えながら描いています。この辺は、江戸時代の武士階級の行き詰まりを見事に象徴していると思います。そんな彼の生活は、中央政界の大変動によって一変し、江藤は佐賀藩の代表として京都に乗り込むわけです。この辺から江藤の活躍が本格的になります。当時の佐賀藩は近代化された軍隊を保持しており、その力は薩長を凌ぐほど期待されていましたが、政治の表舞台では明らかに薩長に遅れをとっていました。そこで、江藤は佐賀藩の地位を上げるために孤軍奮闘するわけですが、その姿が実に滑稽で、笑ってしまう箇所もしばしばです。


<薩長閥との対立>
 戊辰戦争が終結し、新政府が確立した後は、江藤と薩長閥との対立が物語の軸になります。江藤の薩長閥に対する怨みの描かれ方は、政治的正論で描かれておりますが、実に明快です。現代人の感覚なら、多くの人が江藤の行動を支持することでしょう。江藤の思考の鋭さと切れ味は「天才」「知恵者」と呼ばれるのに十分であり、実に壮快です。


<征韓論〜佐賀の乱>
 物語のクライマックスは、征韓論から始まります。時代背景の説明や海外事情などの記述も多くなり、征韓論にまつわるエピソードも多くなってきます。この頃から、「江藤と薩長閥」の対立軸は「江藤と大久保」に変貌し、大久保についての記述も多くなります。江藤と大久保を比較して描くことによって、江藤から欠落していた「人間らしさ」が浮き彫りになってきます。筆者の記述を借りるなら、理論の正しさを追求する才能に関しては抜群であるのですが、ごく一般的な人間の性質が理解できない、と言えるでしょう。ある意味では、現代でも言われる「偏差値は高くても人間的に未熟」と呼ばれるエリートに近いかもしれません。江藤は、そういう人間として描かれており、佐賀の乱で敗れた後の逃避行についても、そんな江藤の性格が顕在化しています。この辺の描かれ方がまた滑稽であり、実に面白いです。このような江藤新平という人物が、どのような過程を経て作られていったのか?その答えは、表題にもなっている「歳月」におそらく答えが隠されているでしょう。江藤は、幼少の頃から貧しい中で育ち、人口の少ない山奥で蟄居する生活を何年も続けていました。いわば、社会から隔離された状態で長い年月を過ごしてきたわけです。「人間なれ」していないわけです。そんな彼が、才能を買われて中央政界に飛び出るわけですが「人間なれ」していないことが政治的致命傷を招き、悲惨な最期を遂げるのに至った、そんな気がします。


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