私本太平記

吉川英治 著
講談社

<物語の構成>

 主人公は足利尊氏。楠木正成や後醍醐天皇との関わりを中心に、尊氏の若き青年時代からその死までを中心に描いている。吉川小説の名作「宮本武蔵」と同様に、かなりの長編小説ではあるが、読者を飽きさせにくいテンポの良さは、さすがに見事な腕前である。
 尊氏の死をもって幕を閉じているが、物語の最大のクライマックスは湊川の戦いであるだろう。それ以後は、それ以前に比べて数倍の速さで時が流れ、北朝側の内紛を中心に話が簡単にまとめられている。と言うのはおそらく、この小説で筆者が描きたかったのは、足利尊氏と楠木正成という二人の巨人の関係であるから、ではないだろうか。明治維新以後、国は足利尊氏を極悪人として教え、楠木正成を英雄として教えてきた。第二次大戦前、学生たちから絶大な人気を得ていた歴史上の人物は「楠木正成」であったという。明治政府は、その成立過程で水戸光圀による「大日本史」の影響を強く受けている。「大日本史」では、楠木正成こそが忠臣として讃えられいた。そのため、明治政府による歴史教育では、楠木正成が英雄でなければならず、対する足利尊氏は極悪人として描かれるべきであったのだろう。しかし、本小説で主人公となった足利尊氏は、決して悪人ではなく、苦悩の人である。楠木正成は神がかり的な英雄ではなく、彼もまた、苦悩する一人の人間として描かれているのである。
 真実がどうであったかは、ここで論じるべき問題ではないので据え置き、あくまで本小説に描かれている尊氏と正成の関係について考えてみよう。まず、尊氏の足利家は由緒正しい源氏の流れをくむ武家の名門である。一方、正成の楠木家は出自に謎が多く、河内の山奥を根拠地とする田舎武士である。もし、後醍醐天皇が倒幕を志さなかったとしたら、二人は会うこともなかっただろう。それぐらい、二人の立場は異なっているものであった。ところが、歴史の流れは二人を引き合わせた。倒幕に加わった背景も動機も異なる二人であったが、頭に思い描いていた理想は「治世」であった。その点では共通していたのである。しかし尊氏の場合、「治世」を導くためには、足利家が武家の頂点に立つことも視野に入っていたことに対し、そのような由緒を持たない楠木家の正成は、後醍醐天皇にかけられた期待に応えることが思考の根本になっていたことであろう。結果として、尊氏は天皇親政に反対する武士を集めて北朝を立てるが、正成は後醍醐天皇のために最後まで戦って命を落とした。しかし、尊氏も正成も、お互いの存在に一目置いていた。おそらく、自分と共通するものを感じていたためであろう。湊川の戦いにて、尊氏はなんとかして正成を助けようとしているのである。めまぐるしく変わる乱世において、歴史の表舞台に立った二人は、その「立場の違い」から逆の道を歩んでしまったことは、なんとも物悲しさを感じさせるものであった。

<私本太平記のヒロイン>

 吉川小説をはじめ、歴史小説では女性がたいへん重要な役割を果たしている。民主主義社会の現代日本とは異なり、当時の日本は(おそらく世界中でも)女性が歴史の表舞台に立つことは稀な例であった。しかし実際には、彼女達は表舞台には立たないもの、歴史の流れに大きな影響力を持っているのである。「太平記」などでも登場する女性として、後醍醐天皇の寵妃である阿野廉子がいる。本小説でも、妖艶な魅力を持つ女性として、活躍している。しかし、本小説のヒロインは「藤夜叉」という無名の女性である。
 藤夜叉は、宮本武蔵の「お通さん」のような一心不乱の恋に生きた女性とはまったく異なり、悲劇的なヒロインである。近江の佐々木道誉に支援されている田楽一座の花形であったが、尊氏の子を孕んでしまったことで、彼女の人生は一変した。平時なら、尊氏の側室におさまることができたのかもしれないが、乱世に身を投じた尊氏は、藤夜叉とその子の不知哉丸には冷たくあたった。それは、若き頃の過ちから目をそむけたいから、ではない。自分自身に与える罰、としての行動だったように思うのである。なぜ、藤夜叉・不知哉丸母子を冷遇するのか、私にはあまり理解できなかった。藤夜叉は心ならずも乱世の渦中に入り込んでしまった悲運の女性である。彼女には、乱世を生きた多くの女性のたちの悲哀を投影する役割を、筆者は担わせていたのかもしれない。

<尊氏と直義>

 正成の死後は、尊氏・直義兄弟に物語の軸が移っている。比較的冷静な尊氏と、律儀で真っ直ぐな直義は、兄思い、弟思いの仲の良い兄弟であった。しかし、その後の関係は敵味方となるまでにこじれてしまう。その原因は、足利家に代々伝わる「置文」である。置文を心の拠り所として、鎌倉幕府打倒に立ち上がった尊氏・直義兄弟の戦いの始まりであった。足利家が天下に名を轟かせ、武門の頂点に立つためには、幕府の北条家は何としてでも倒さねばならない相手であった。そこまでは、二人は同志であった。しかし、北条家を打倒したところで、兄弟の思いは行き違いを見せ始める。尊氏の思いは、足利家による実権の掌握よりも、戦乱の収束であったが、直義の思いは「置文」に記された通り、あくまで足利家が武門の頂点に立つことであった。尊氏を現実家というならば、直義は理想家といえるだろう。直義は、純粋な武将なのである。足利家に誇りを持ち、足利家が天下を制することに迷いを持たなかったのである。そのため、尊氏は直義の行動を「暴走」ととらえ、直義は尊氏の行動を「不可解・生ぬるい」と、とらえたのである。この違いが、足利家の家臣団を二分につながり、南北朝抗争をさらに混乱させる戦乱を引き起こした、といえるだろう。

 

NHK大河ドラマ「太平記」原作

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