吉田松陰

山岡荘八 著
講談社

幕末の動乱期を考えるうえで、長州藩の存在を欠かすことはできないでしょう。その長州藩の動き、そして人物を考える時に必ずと言っていいほど登場するのが吉田松陰です。
吉田松陰は故郷・萩の松下村塾にて教育にあたり、多くの志士達を育てたことで知られています。それはもちろんその通りなのですが、この小説では松蔭は教育者であると同時に、自ら現場の最前線に立とうした先進的な人物として描かれております。国禁破りの密航を計画し、命懸けで実行に移したのもその一つです。そうして彼が身につけていた学問と体験は、そのまま松下村塾での教育に活かされております。
そんな松蔭も、貧しいながらも勤皇を心掛ける強い意志を持つ父、叔父らに愛され育てられてきました。若干11歳で藩主の前で軍学の講義を行うことができたのも、天才だったからというだけでなく、優れた教育方法の成果であると書かれています。その教育方法も、実に興味深いものでした。
この小説を読むと、松蔭に対しては教育者というよりも先駆者というイメージを持ちました。彼はいち早く日本が抱えている問題を認識して、それに対処すべく必死に勉学を重ねます。彼は、学問とは実践して世の中の役に立たせることこそが目的かつ存在意義であり、決して学者の生計を立てるための生活道具ではない、と考えております。これについて、拙者はたいへん共感しました。何のために学ぶのか?それは現実の世界で役立つものであるから。それで人を救うことができるから。拙者は改めてそう結論づけたのであります。

最後に、松蔭が死に望んで残した歌を一首。

身はたとえ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも とどめおかまし 大和魂

松蔭は安政6年(1859年)に刑死します。
しかし、歌の通り、彼の魂は多くの弟子達によって継承されております。


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