文久2年(1862年)1月。老中の安藤信正(44歳)が、江戸城坂下門の外で尊攘過激派の水戸藩浪士6名に襲撃され、負傷するという事件が起こった。水戸藩浪士らによる幕府重役襲撃事件は、2年前の桜田門外の変に続いて2度目。
浪士らは安藤が中心になって進めた和宮降嫁をはじめとする公武合体運動に激しく反発していた。今回の襲撃事件を起こした彼らは、安藤が和宮降嫁を機に廃帝を企てている、などの罪状を並べて事に及んでいる。しかし、この不穏な動きは安藤も察知していた模様で、襲撃に備えてある程度の準備はしていたようである。桜田門外の変とは異なり、浪士らは安藤を負傷させただけで首をあげることはできず、6名全員がその場で斬殺された。
安藤の命に別状はなかったが、この事件をきっかけに政敵らが安藤失脚のために動き始めたため、安藤は老中を罷免されてしまったのである。