時代区分 | 織豊戦国時代 | 分類区分 | 城・砦 | 旧国名 | 摂津 |
現在地 | 兵庫県伊丹市 |
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国史跡(昭和54年12月28日 指定) |
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関連人物 | ・荒木村重 |
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有岡(ありおか)城の歴史
鎌倉時代末期、伊丹(いたみ)氏によってこの地に居館が築かれたのが始まりだったそうです。当時は伊丹城と呼ばれていました。南北朝・戦国時代の戦乱を経て、伊丹城は城塞化が進み、永正17年(1520年)には城下町を取り込んだ「惣構え」構造の特徴が現れていたそうです。天正2年(1574年)、織田信長に従っていた荒木村重(あらき むらしげ)の攻撃により伊丹城は陥落。信長の命によって、「有岡城」と改名して村重の居城となりました。摂津の国を任された村重は、有岡城を政治・軍事の中心とすべく、城の拡張工事に乗り出し、町全体を堀と土塀で囲み、北、西、南には砦を築いて守りを固め、巨大な惣構えの城となったそうです。
天正6年(1578年)、村重は謀叛を起こし、信長と戦うことになりました。有岡城は織田軍に包囲にされ、10ヶ月間に及ぶ攻防戦を繰り広げた後、遂に落城しました。天正8年(1580年)、池田之助が城主となりますが、天正11年(1583年)に美濃に転封され、有岡城は廃城となりました。
その後も、有岡城の主格部分は残されていたそうですが、明治26年(1891年)、鉄道敷設のために城の東側が切り取られてしまいました。昭和50年に残った部分が発掘調査され、土塁・石垣・堀などの遺構が姿を現し、中世城郭から近世城郭への移行期の城であったことがわかったそうです。その後、史跡公園として整備され、現在に至ります。
<管理人の感想>
本当に伊丹駅のすぐそばにあります。石垣の隣の道は車がビュンビュン走り、さらにその隣にJRがガタンゴトンと走っています。国史跡に指定されていますが、石垣の一部が残っているのみで、「史跡」というよりは「駅前の公園」と言った方がいいと思います。ちなみに、北、西、南に砦の土塁、堀などの遺構が残されているそうです。駅からはけっこう離れた場所です。かつての有岡城の巨大さを垣間見ることができる遺構ですね。
<交通情報など>
JR宝塚線「伊丹」駅下車、徒歩すぐ