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万松院

対馬藩主宗家の菩提寺

創建 元和元年(1615年)
関連人物

対馬藩主宗家墓所

史跡指定

国史跡
(昭和60年2月18日 指定)

現在地

長崎県対馬市厳原町
(左写真
創建時から現存している山門)

<万松院の沿革>
 万松院(ばんしょういん)は、対馬藩宗家の菩提寺です。創建者は、宗家第二十代当主の宗義成(そう よしなり)。朝鮮の陣や関が原の戦いなど、苦労を重ねた父・宗義智(そう よしとし)の供養のために創建されました。創建当初は「松音寺」という名でしたが、元和8年(1622)、義智の法号である「万松院」にちなんで寺号を改称したそうです。
 以後、万松院は歴代藩主の菩提寺となり、その夫人や側室、童子のお墓もここに集められたそうです(例外もありますが)。また、対馬藩は朝鮮との外交窓口であり、朝鮮の使者は必ず対馬藩経由で江戸に向いました。そのためか、万松院は朝鮮に対する最初の接遇施設のようになり、徳川歴代将軍の位牌を設置した部屋を造るなど、外交的な役割も果たしていたそうです。江戸時代に2回ほど、大火に遭って貴重な文化財などが焼失するという災難もありましたが、寄進や再建で復興しました。また、山門は火災を免れたために、創建当時のままの姿を保っています。

なんとも趣のある石段です!!実物を見ると、もっとすごいです!!
この石段は百雁木(ひゃくがんぎ)と呼ばれ、対馬の観光パンフレットなんかにもよく掲載されています。石段と燈篭と、背後の樹木が幽玄な雰囲気を醸し出していました。このまま、映画のロケもできそうな場所です。

この石段を登った先が、墓所になります。墓所なので、写真はどうかご容赦を(>_<)
墓所は、歴代藩主14基に加え、第10代当主の宗貞国(そう さだくに)、さらに夫人や童子のものもあります。それぞれに形態や大きさが異なるのが、印象的でした。当時の藩財政などが現れているのかもしれません。いずれにしろ、宗家の歴史を紐解くうえでは、たいへん貴重な史料になることは間違いないでしょう。
いずれにしろ、対馬の歴史を見学する上では、第一級の史跡であります。

<管理人の感想>
 対馬の中心地である厳原町の中でも、一番の観光スポットになっています。歴史を感じさせる山門をはじめ、神秘的な雰囲気を漂わせる境内の美しさは、言葉ではなかなか表現できません。対馬は遠方ですが、再び訪問することがあれば、必ず再訪したい場所です。


探検日:2007年5月
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