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八王子城

築城年 1571年? 分類 山城
築城者 北条氏照
歴代城主 北条家
現在地

東京都八王子市元八王子町3丁目・下恩方町・西寺方町
(旧国名:武蔵)
<左写真は復元された御主殿虎口>

史跡指定

昭和26年6月9日 国史跡指定

略歴

・元亀2年(1571年)  北条氏照が八王子城築城開始?
・天正18年(1590年) 豊臣秀吉の関東征伐で未完成のまま落城

<八王子城の沿革>
 八王子城は、北条氏照(ほうじょう うじてる)(北条氏康の次男)が築いた山城でありました。当初の氏照の居城は、多摩川と秋川の合流地点にある丘陵地帯に築いた滝山城でしたが、標高の高い山に新たな居城として築いたのが八王子城でした。平地からわざわざ山に城を移そうとしているのは、時代の流れから考えると逆行しています。あえて山城を築いた理由として、永禄12年(1569年)に滝山城が武田信玄に攻撃され、落城寸前まで追い詰められた過去があるため、より守りの固い山城の築城を考えたのではないか、と考えられています。
 築城の時期については定かではありませんが、1571年頃から本格的な工事が始まったと考えられています。その後、畿内では織田信長やその跡を継いだ豊臣秀吉が天下統一を進めており、それらに対する防衛の最前線としての役割が期待されていたであろう、と思われます。
 天正18年(1590年)6月23日、秀吉の命を受けた前田利家上杉景勝らの軍勢が八王子城攻撃を開始しました。この時、城主である氏照は小田原城にいました。つまり、八王子城は城主不在の時に攻撃を受けたわけです。八王子城はわずか1日で落城し、その後は廃城となりました。

<八王子城の構造>
 八王子城は、城主の氏照はじめ、家臣団とその家族が住む居住区と、山に沿って築かれた要害区の二つに分けられます。八王子市では、城跡整備計画として、まずは居住区の発掘調査から手をつけました。その結果、水路跡や塀の跡、大きな建物の礎石などが発見され、居住区は広大な範囲にわたっていたのではないか、と考えられています。氏照の居館跡と考えられる部分は「御主殿」と呼ばれ、その入口である虎口や曳橋が復元されています(下写真参照)。
御主殿につながる曳橋(復元)
御主殿跡

 要害区は、あまり整備が進んでいないため、ほとんど山登りになりました(^_^;)。山城を登るといつも思うことですが
「攻める方はたいへん」
この一言につきます。
八王子城本丸付近からの眺め

<管理人の感想>
 山の麓に構えられた居館の跡などは、越前の一乗谷に似た雰囲気があるなと思いました。また、入口には発掘調査報告や、八王子城の歴史や構造を記した説明板などが豊富で、整備事業に熱心である様子がうかがえます。時間がありましたら、通り道にある八王子城資料館も合わせて見てみるといいでしょう。

<交通情報>
・電車:JR「高尾」駅よりバス乗車。「霊園前」で下車し、徒歩20分ほど
・車:入口付近に2,3台ほど駐車スペースあり。


探検日:2005年7月3日
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