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本妙寺

創建 天正13年(1585年)
関連人物

加藤清正

現在地

熊本県熊本市花園4−13−1

(左写真の階段を登って行ったところが入口)

<本妙寺の沿革と加藤清正>
 本妙寺が建立されたのは天正13年(1585年)のこと。法華経を信仰していた加藤清正が、父・清忠の追善のために日真上人を招いて摂津の地に(現在地の熊本ではなく)建立したのが始まりでした。天正16年(1588年)、清正が肥後半国の領主となるのに伴って本妙寺も移転し、天正19年(1591年)に熊本城内に移されました。
 慶長16年(1611年)6月24日に清正が熊本城内にて死去すると、遺言によって、城の西に位置する中尾山の中腹(現在の本妙寺の所)に廟所が造営されました。この時、本妙寺は熊本城内にまだ残っていましたが、慶長19年(1614年)に火災で焼失。清正の廟所に再建することとなり、元和2年(1616年)に落成しました。

 天皇から「永代紫衣」を勅許された本妙寺はたいへん栄え、広い境内には多くの塔頭寺院が建設されたそうです。今でも、拝殿から階段を降りて、大正時代に建てられた仁王門まで行く道の両脇には、多くの寺院が並んでいます。本妙寺は明治10年(1877年)西南戦争で大部分が焼失しましたが、その後まもなく再建され、現在に至ります。

加藤清正像
 本妙寺からさらに上へ。300段の階段を登った所に、有名な長烏帽子兜に長槍を持った鎧姿の加藤清正の立像があります。像の高さは約10mと大きく、さらに台座の高さが約17mとなっているため、来訪者は空を見上げるようにして、この像を見ることになります。立派です。

<管理人の感想>
 清正像がある広場からは、景色を遮るものもなく、熊本城はじめ熊本の街並が一望できます。
 また、拝殿の近くに「宝物館」という名の資料館があります。有名な長烏帽子兜をはじめ、書状や清正とその子・忠広が着用したと言われる甲冑も展示されていました。展示スペースが小さくて、展示数が少なかったのがちょっと残念です。

<交通情報など>
・車:拝殿近く、清正像付近、麓の塔頭寺院の並びの計3か所に、無料駐車場があります。


探検日:2009年1月2日
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