史跡探検記表紙 > 城・砦選択

福江城(石田城)

築城年 1849〜63年 分類 海城
築城者 五島盛政
歴代城主 五島家
史跡指定 県指定史跡 昭和41年(1966年)9月指定
現在地

長崎県福江市池田町
(旧国名:肥前)
<左写真:現存の搦手門>

略歴

・嘉永2年(1849年)  黒船来航に備えて築城開始
・文久3年(1863年)  福江城完成

<福江城の沿革>
 長崎の西方に位置する五島列島は江戸時代、五島藩1万2600石が治めていました。五島藩は当初、江川城を居城としていましたが、慶長19年(1614年)に火災で焼失。五島藩は、再築城の許可を幕府に数回に渡って申請していましたが、いつまで経っても許可が下りなかったため、藩主は陣屋を建設してそこに住んだそうです。
 その五島藩に幕府から築城命令が下りたのは、なんと幕末の嘉永2年(1849年)。近年、沿岸に頻繁に出没するようになった外国船に対する備えとして、海防目的の築城が始まりました。この城は三方面が海に面しており、その規模は、東西が160間(291m)、周囲は740間(1346m)という小さなものでしたが、工事には足掛け15年もの歳月をかけて文久3年(1863年)に完成しました。これだけの年月がかかった理由としては、技術者や材料の不足であるとか、長年築城の許可を出さなかった幕府に対する恨みであるとか、財政的な問題であるとか、いろいろと考えられているようです。
 こうして、幕末に築かれた福江城は、日本史上最後に築かれた近世城郭と言われております。

(参考:五島邸配布資料)



探検日:2006年8月6日
侍庵トップページへ戻る