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福原跡(兵庫)

時代区分源平合戦分類区分その他旧国名摂津
現在地兵庫県神戸市兵庫区

関連人物

・平清盛

関連事件

兵庫県というと、県庁所在地で港町の神戸や世界遺産の城がある姫路が有名ですが、平清盛とも関係が深い、ということは意外と認識されていないようです。一時期は、福原(現在は神戸市)に遷都されたこともあるぐらいです(すぐに京都に戻ったのですが)。というわけで、こちらでは神戸市兵庫区に残る平清盛関連史跡を紹介していきます。

平相国廟

平相国廟

相国しょうこく」とは太政大臣の唐名で、「平相国」とは太政大臣となった平清盛のことを指しています。写真ではわりと新しくて綺麗なものですが、これは平成7年(1995年)の阪神淡路大震災で崩壊、瓦礫となってしまったのを、あとで復興させたからです。
<交通手段>
・JR山陽本線「兵庫」駅下車。南東へ徒歩5分ほど。能福寺境内にあり。

兵庫大仏

こちらは同じく能福寺の境内にある兵庫大仏。奈良・鎌倉の大仏と並んで日本三大仏に数えられたそうです。この大仏は明治24年(1891年)にある豪商が作ったとか。
その大仏は太平洋戦争中に金属供出に出されたのですが、その後二代目の大仏が作られたとのこと。

清盛塚

清盛塚

能福寺から南に行くと、交差点の一角に左写真の13重石塔が建っております。
延宝8年(1680年)の「福原びんかがみ」によると、北条貞時が建立したと伝えらていたそうです。
大正11年の道路拡張工事の際、移転について議論が紛糾したそうですが、結局東へ11m移動(現在地)することで決着がつきました。移転の際に、地下を掘り起こして調査したのですが、墳墓ではないことが確認されました。
となると、この石塔は何時、誰が、何の目的で建立したのでしょうね?

この清盛塚のすぐそばにたたずんでいるのが平清盛像。
昭和47年5月に建立されました。
時めいた権力者とは思えないような風貌です。

清盛像

大輪田橋

その昔、平清盛は大輪田泊おおわだのとまりを港として整備し、日宋貿易の拠点として莫大な利益をあげたといわれております。この大輪田泊がのちの兵庫港であります。兵庫港に流れる新川にかかるこの橋は、これに由来して「大輪田橋」と名づけられました。
ちなみに、大輪田橋の斜め向かいにある橋は「清盛橋」という名前になっております。

福原行在所跡

福原の安徳天皇の御在所の跡には、薬仙寺というお寺が建っております。この寺の境内に、御在所跡の石碑があるという話を聞いていたのですが、拙者が探したところ見つかりませんでした・・・(T_T)。なにゆえに??
しかし、石碑だけでは当時の有様をうかがう事は難しいです。現在ではすぐそばに運河が流れており、兵庫港はすぐそば。福原京の当時の海岸線と現在の海岸線が一致しているとは思いませんが、もしかしたらすぐそばに海があり、潮の香り漂う場所だったのかもしれません。

探検日:2003年8月22日
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