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福岡城

築城年 1607年 分類 平山城
築城者 黒田長政
歴代城主 黒田家
別名 舞鶴城
史跡指定

・国史跡
・重要文化財 多聞櫓
・県指定文化財
潮見櫓、祈念櫓、大手門、母里太兵衛邸長屋門
・市指定文化財 名島門

現在地

福岡県福岡市中央区城内
(旧国名:筑前)
<左写真は大手門付近から見た潮見櫓>

略歴

・1600年(慶長5年)  黒田長政、筑前に入国。名島城に入城
・1601年(慶長6年)  福岡城、築城開始
・1607年(慶長12年) 福岡城完成

<福岡城の沿革>
 黒田長政が築いた福岡城ですが、築城前のこの付近の地名は「福崎」であったそうです。築城にちなんで、黒田家縁の地・備前邑久(おく)郡福岡の名前をもらって、「福岡」と改称されたそうです。
 福岡城は東西に長くのびた梯廓式の城郭であり、本丸・二の丸・三の丸に分かれ、その面積は48万平方mにも及ぶそうです。築城に優れた黒田如水・長政親子の福岡城は、47もの櫓が築かれ、実戦を意識した大規模な城であったそうですが、天守台はあるもの、天守閣が築かれることはなかったそうです(天守閣の代わりのような櫓は存在した、という説もあります)。
 福岡城は、明治維新まで黒田家12代の居城として、発展を続けていきました。廃城後は公園として整備され、城跡の大部分は「大濠公園」という名前の大きな公園になっており、都会のオアシスとなっております。

<福岡城の遺構>
1.多聞櫓(現存)
重要文化財に指定されている多聞櫓は現存の遺構です。写真は、西方外側から撮影したものですが、夕方前までは内側の区画に入ることができるそうです。

2.祈念櫓
祈念櫓は、本丸の北東隅に建てられ二層の櫓で、鬼門封じの意味が込められていたそうです。大正7年に、黒田家の菩提寺・崇福寺が陸軍省から払い下げを受けた際に、祈念櫓も崇福寺に移築され、昭和58年に再び福岡城に再移築された、という経緯を経て現在に至ります。それらの間に大幅に改築されたようで、現在の祈念櫓と、往時の祈念櫓の外観はだいぶ異なっているそうです。

3.母太兵衛邸長屋門
福島正則から、大酒を飲み干して名槍「日本号」を呑み取ったことで有名な母里太兵衛の屋敷の長屋門。当時は現在の天神2丁目野村証券会社の地にあったそうです。武家屋敷の長屋門として文化財指定を受け、昭和40年に大濠公園の一角に移築されました。

4.名島門
名島門小早川隆景が築いた名島城の脇門であったそうです。福岡城築城の際に、黒田24騎の一人である林掃部に引き渡され、邸宅の門として使用されていました。廃城後、民間の手に移ったあとに、現在の地に移築されたそうです。

<交通情報>
・地下鉄:「大濠公園」下車、徒歩5分ほど。
・車:付近に有料駐車場多数あり。


探検日:2005年8月20日
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