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城・砦選択

伊勢亀山城

時代区分戦国時代分類区分城・砦旧国名伊勢
現在地三重県亀山市本丸町
三重県指定文化財(多聞櫓:昭和28年5月30日指定)

現存する多聞櫓の遠景

伊勢亀山城の歴史
 伊勢亀山城は文永2年(1265年)、関実忠が若山に築城したのが始まりでした。その後、城は現在の地に移され(年代は不明)、元亀4年(1573年)に16代当主の関盛信織田信長に追放されるまで、関氏の居城として機能していました。
 天正18年(1580年)、岡本宗憲が入城し、新たな城を築城。本丸・二の丸・三の丸を備え、天守閣も建設し、現在残る亀山城の母体となったそうです。
 江戸時代、三宅氏が城主だった頃(1620年〜1636年)、丹波亀山城の天守閣を解体するように命じられた堀尾忠晴が間違えて伊勢亀山城の天守閣を解体してしまった、という話が残っておりますが、真偽は定かではないそうです。
 その後入城した本多俊次は亀山城の大改修を進め、東西500m、南北360mに及ぶ縄張りを完成させ、亀山は城下町として、そして東海道の宿場町として機能したそうです(亀山は東海道五十三次の46次)。
 明治6年(1873年)の廃城令によって建造物のほとんどは取り壊され、現存しているのは本丸の多聞櫓とその石垣、他には土塁と堀の一部だけが残され、かつての城内は城跡公園・学校となっております。

<管理人の感想>
 城らしい建築物は多聞櫓とその石垣ぐらいですが、この多聞櫓は現存している貴重なものです(ただし、幕末に何度か手が加えられている可能性が高い)。かつての城内だった場所を歩いてみると、学校の道の脇に門の跡を示す標識が立っており、なかなか大きな城だったことがうかがえます。ちなみに、多聞櫓が建っている石垣。傾斜はわりと緩やかなのですが、けっこうな高さがあります。落花防止柵などはないので、転落しないように気をつけましょう。
 そしてもう一つ、拙者のオススメは城の北側に位置する「亀山市歴史博物館」も併せて見てみることです。博物館には亀山城の詳しい説明や発掘調査の結果などがけっこうわかりやすく公開されており、江戸時代の城と城下町を再現した大きな模型も展示されてあります。

<交通情報など>
・JR関西本線「亀山」駅より徒歩15分ほど
・城内に無料駐車場あり。

探検日:2004年10月23日
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