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金石城

築城年 1528年 分類 平城
築城者 宗将盛
歴代城主 宗家
史跡指定 国史跡(平成7年3月28日指定)
現在地

長崎県対馬市厳原町今屋敷
(旧国名:対馬)
<左写真:復元櫓門>

略歴

・享禄元年(1528年) 宗将盛が金石の地に館を築き、「金石の館」と称する
・寛文9年(1669年) 宗義真が城郭を改修、櫓門を築いて「金石城」と称する
・大正8年(1919年) 櫓門を解体
・平成2年(1990年) 櫓門を再建

<金石城の沿革>
 金石(かねいし)城の歴史は、享禄元年(1528年)宗将盛(そう まさもり)が金石の地(現在の厳原町)に屋形を築いたことから始まりました。戦国乱世の気運が高まっていた当時、対馬においても内乱が勃発。一族の宗盛治(そう もりはる)が当主の宗将盛の「池の屋形」を焼き打ちするという事態に発展します。そのため、将盛が新たに築いた館が「金石の館」でありました。
 以後、「金石の館」は宗家の居城として機能し、戦国時代を終えます。江戸時代になってから、宗義真(そう よしざね)が、寛文5年(1665年)から「金石の館」の城郭を改修し、寛文9年(1669年)には櫓門を築いて「城」としての形態を整えてからは「金石城」と呼ばれるそうになったそうです。「金石城」は江戸時代の城ですが、豪壮な天守閣などは築かれませんでした。
 延宝6年(1676年)、金石城よりやや北に桟原(さじきはら)城が完成すると、宗家の居城は桟原城に移転しましたが、金石城もそのまま残されました。現在、金石城の庭園などの発掘調査が行われており、復元整備が進んでおります。



探検日:2007年4月28日
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