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建勲神社(船岡山)

時代区分戦国分類区分神社寺院旧国名山城

国史跡(船岡山)

現在地

京都府京都市北区紫野北舟岡町

関連人物

・織田信長 ・織田信忠

建勲神社と船岡山の歴史
 京都市北部に位置する船岡山は標高112mの小高い山です。その昔、平安京造営にあたって北の基準点となりました。この山の南に大極殿・朱雀大路が建設されたそうです。そんな船岡山は、平安の頃からしばしば和歌にも登場し、美しい都の景観を構成する一要素であった、と考えられています。
 戦国時代の幕開けともいえる応仁の乱の時、船岡山一帯は西軍の陣地となったため、この辺りには「西陣」という地名が残っています。そんな戦国乱世を武力によって統一しかけたのが、織田信長でした。しかし、信長は1582年の本能寺の変で、志半ばにして斃れてしまいます。主君の信長に代わって、戦国乱世を収束させた豊臣秀吉が、かつての主君の覇業を讃えるために正親町天皇の勅許を得て、船岡山を信長の廟所と定めたそうです。
 それからさらに時は流れて、徳川幕府が倒れて間もない明治2年(1869年)。明治天皇によって、織田信長織田信忠父子を祭神として祀った神社が船岡山に創建されました。これが建勲神社です。「建勲」は正しくは「たけいさお」と読みますが、通称は「けんくん」です。建勲神社は、明治8年(1875年)に、別格官幣社に列せられました。

左写真は建勲神社の拝殿です。拝殿の奥に、本殿があります。
建勲神社には、信長着用の紺糸威胴丸義元左文字(桶狭間合戦で今川義元が帯びていた太刀)、太田牛一自筆の「信長公記」の重要文化財をはじめ、多数の宝物があるそうです。

語尾が「そうです」となっているのは、説明看板にそう書いてあったからです。一般公開はしていないようなので、拙者は見ることはできませんでした。見たかったなぁ・・(^_^;)

<管理人の感想>
 船岡山公園頂上から南側を眺めると、町並みが一望できます。都造りの基準点となった、という話も頷けました。現在、船岡山の南側に高層マンションを建設する計画があるそうです。建勲神社さんらは反対しているようですが、拙者も反対ですね。この眺めをマンションで塞いでしまうのはあまりにもったいないです。

<交通情報など>
・車を止めれそうなところはあまりないです。バスを使う方が賢明?

探検日:2005年1月23日
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