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熊本城

築城年 1601?〜
1607年
分類 平山城?
築城者 加藤清正
歴代城主 加藤家 → 細川家
史跡指定 国史跡
現在地

熊本県熊本市本丸1−1
(旧国名:肥後)
<左写真:宇土櫓より撮影した熊本城天守閣>

略歴

・慶長6年(1601年) 関が原の戦いの功で肥後52万石の国主となった加藤清正が築城開始
・慶長12年(1607年)熊本城、完成
・寛永9年(1632年) 加藤家が改易され、代わって細川家が肥後国主となる。
・明治10年(1877年)西南戦争で戦場となる。

<熊本城の沿革>
 熊本城が築かれたのは茶臼山という丘陵地帯でした。清正がこの地に熊本城を築く前から、茶臼山は肥後国の要地として城が築かれていました。記録に残っている最古の城は応仁年間(1467〜1469年)に築かれた千葉城、その後は明応5年(1496年)に菊地一族の鹿子木親員(かのこぎ ちかかず)が隈本城を築き、戦国時代の肥後の中心地となりました。
 熊本城の築城開始は1601年となっておりますが、実は築城開始の年ははっきりしていないそうです。これだけ巨大な城を7年間で築くことは普通に考えると難しいので、実際にはもっと早い時期から築城が始まったのではないか?とも考えられております。
 熊本城が歴史の脚光を浴びたのは、明治10年(1877年)の西南戦争でしょう。西郷隆盛率いる13000の薩摩軍の攻撃を52日間に渡って防ぎきり、「難攻不落」の賛辞を浴びることとなりました。西郷は薩摩の城山で終焉を迎える際、「(熊本城では)わしは官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」とつぶやいた、と伝えられているそうです。

<熊本城の写真>
宇土櫓
 天守閣は復元されたコンクリート天守閣ですが、こちらは現存の櫓。文化的な価値は復元天守閣よりも高くなっております。もともとは、宇土城の天守閣を移築したものだ、ということから「宇土櫓」の名前の由来だそうですが、定かではないようです。櫓といえども、この大きさは一城の天守閣に相応しい造りになっております。

加藤清正像
 はぜ方門の前にそびえたつ熊本城の父・加藤清正の銅像。長烏帽子兜が印象的です。

<管理人の感想>
 2007年に築城400年を迎える熊本城は、本丸御殿の復元工事が進んでおります。詳しくは、こちらを参照ください。

<開館情報>
・大人:500円 小・中学生:200円
・熊本城&細川刑部邸共通入場券 大人:640円 小・中学生:240円
・開園時間 4〜10月:8時30分〜18時
      11〜3月:8時30分〜17時
・休園日:12月29日〜31日

探検日:2006年2月4日
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