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満福寺

創建 天平16年(744年)
関連人物

源義経

現在地

神奈川県鎌倉市
腰越2丁目4番8号

<満福寺の歴史と源義経>
 満福寺を開いたのは奈良時代の僧・行基だったそうです。しかし、満福寺は行基が開山した寺というよりも、源義経が腰越状をしたためた場所として、たいへん有名なお寺です。
 元暦2年(1185年)5月、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした義経は、鎌倉に凱旋しようとしたところ、ここ腰越で、鎌倉入りを拒否されてしまいました。平氏を滅ぼす、という使命を果たした義経の鎌倉入りを拒否する理由は何だったのでしょうか?頼朝の目的は、自分が御家人を統率する新たな武家社会を作ることにあったと考えられます。その頼朝にとって、許可を得ずに官位を受ける義経は秩序を乱す危険分子だったのかもしれません。また、平氏との戦いで抜群の武功を立てた義経の人気は高く、頼朝はその人気を恐れたのかもしれません。いずれにせよ、頼朝は義経を鎌倉から排除する決断を下したのでありました。
 一方の義経は、何故自分がこのような扱いを受けるのか、理解に苦しみました。命懸けで平氏と戦い、勝利した自分が、なぜこのような待遇を受けるのか?義経は腰越の満福寺に逗留し、自分の思いのたけを書状にしたためました。これが「腰越状」と呼ばれる義経の手紙です。しかし、それでも義経の鎌倉入りは許されず、義経は兄・頼朝との対決を余儀なくされるのでした。

 満福寺は義経縁の寺として、襖絵や彫刻を展示しております。

腰越の海岸より鎌倉を臨む

<交通情報など>
・江ノ島電鉄「腰越」駅より徒歩5分ほど
・9時開門 17時閉門
・拝観料:200円

探検日:2005年6月18日
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