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丸岡城

時代区分織豊戦国時代分類区分城・砦旧国名越前
現在地

福井県坂井郡丸岡町霞町1丁目

別名

霞ヶ城(かすみがじょう)

城分類平山城

・重要文化財(昭和年25年8月29日 指定)
天守閣

関連人物

・柴田勝豊(築城)

略歴

・天正4年(1576年)  豊原から丸岡に城が移される
・元禄8年(1695年)  有馬清純が入封
・昭和9年(1934年)  国宝に指定される
・昭和23年(1948年) 福井大震災により倒壊
・昭和25年(1950年) 国の重要文化財に指定される
・昭和30年(1955年) 天守閣の復元完了

<丸岡城の沿革>
 丸岡城を築いたのは、織田信長の家臣として有名な柴田勝家の甥、柴田勝豊(しばた かつとよ)でした。城が築かれた経緯は、ちょいと複雑になっております。
 時は天正3年(1575年)、北陸で根強く抵抗を続ける一向一揆鎮圧のために、勝家らは戦っていました。その戦いの中、丸岡城から東に4kmほどのところに位置していた豊原寺を攻略し、そこに築いた城が丸岡城の始まりでした。翌天正4年(1576年)、現在の丸岡の地に豊原の城を移し、丸岡城の歴史が始まりました。

 丸岡城の城主は、柴田勝豊のあと、安井左近家清青山修理亮青山忠元今村盛次と変わっていきますが、本多成重が入った後、四代にわたって本多氏の藩政が続きました。
 元禄8年(1695年)5月有馬清純が入城すると、8代に渡って有馬氏の藩政が続き、明治維新を迎えております。

<特徴>

 丸岡城天守閣。二重三層で外観は上層望楼を形成している。
屋根は石瓦、土台の石垣は野面積み。構架法、外観は古式調であり、城郭建築史上、現存天守閣の中では最古のもの、となっている。

<交通情報・入園情報>
・車:北陸自動車道「丸岡IC」より10分ほど。無料駐車場あり。

<管理人の感想>
 この日は時折みぞれが吹雪くほどの悪天候であったため、写真はやや暗めに写っております。その影響かもしれませんが、瓦の色がやや緑がかっているように見えました。また、天守閣の周囲は公園化されており、資料館も付設されておりますが、天守閣だけがぽつんと時代に取り残されているような印象を受けました。

探検日:2005年3月12日
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