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時代区分幕末分類区分神社寺院旧国名山城
現在地京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町坊城仏光寺北入る
関連人物

・新選組

関連事件

壬生寺

壬生(みぶ)という寺の名前で、どういうお寺なのか想像できる人もいるでしょう。
この寺は幕末に活躍した「新選組」幕末の動乱期に活躍した新選組は、当初はこの近くに屯所を構え、広大な敷地を利用して軍事訓練を行っていたそうです。その軍事訓練、会津藩から受け取った大砲2門を使った洋式訓練だったとのこと。最初は西本願寺で訓練を行っていたらしいのですが、あまりの騒音と振動で激しい抗議を受け、ここ壬生寺に訓練場を移転したそうです。受け入れる壬生寺だって、迷惑極まりない話だったのでしょうが、京都奉行所などの斡旋で断りきれなかったとか。
訓練が始まると、全ての門を閉じて参拝者を締め出し、禁止されているにも関わらず馬を乗り入れ、大砲を撃ち続けたそうです。おかげで寺の参拝者は減り、大砲の振動で屋根瓦や障子が破れ、難儀な日々を過ごしたそうです。
一方で、沖田総司おきた そうじ)が近所の子供達と境内で遊んであげたとか、近藤らが壬生狂言を観賞したとか、逸話も多く残っています。

近藤勇胸像

境内の一角にある壬生塚には、局長・近藤勇の遺髪塔や、近藤らに粛清された芹沢鴨、池田屋事件で死んだ隊士らの墓がたたずんでおります。
左写真は、近藤の遺髪塔の隣にある胸像。昭和46年に作られたそうです。そうそう、胸像の下には新撰組ファンらの書き込みノートがあり、各自の思いが書き記されておりました。意外(でもないか?)なことに、書き込んでいるのはほとんど女性です。

<交通手段>
・JR「丹波口」駅より徒歩5分ほど。
・有料駐車場あり。

探検日:2003年10月28日
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