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盛岡城

築城年 1598年 分類 平山城?
築城者 南部利直
歴代城主 南部家
現在地

岩手県盛岡市内丸
(旧国名:陸奥)
<左写真は、岩手公園入口>

史跡

昭和12年(1937年)国史跡指定

略歴

・慶長3年(1598年)  豊臣秀吉の許可を得て、盛岡城築城が始まる
・昭和12年(1937年) 国史跡に指定される

<盛岡城の沿革>
 盛岡城の跡地は、現在「岩手公園」という名前で、城跡公園として整備されています。建築物はありませんが、築城当初に使われた自然石の石垣や、築城後期に使われた切石の石垣など、石垣群はきれいに残っています。
 盛岡城の築城が始まったのは、慶長2年(1597年)だったそうですが、本格的な工事が始まったのは豊臣秀吉から許可を得た慶長3年(1598年)だったそうです。以降、寛永年間まで城郭の整備が進められ、盛岡南部藩20万石の居城として栄えました。

<盛岡城とその周辺の写真>
櫻山神社の烏帽子岩
公園内の櫻山神社に祀られている「烏帽子岩」。盛岡城築城の折に発見され、烏帽子に似た形状が縁起が良いと喜ばれ、城の守護神として祀られたそうです。

藩校「明義館」跡
藩士の子弟が通った藩校「明義館」の跡。「壬生義士伝」の主人公となった吉村貫一郎は、足軽身分でありながら、藩校の助教として子弟教育にあたっていたそうです。

石割桜(国天然記念物)
南部藩の家老屋敷跡地の「石割桜」。石というより、岩を割って桜の木が立っているように見えます。
「盛岡の桜は、岩割っても咲ぐ〜」という「壬生義士伝」中のセリフはここからきたのかもしれません。
ちなみに、このような桜ができた理由として、落雷などで割れた岩の間に桜の種が入り込んで、ここまで大きくなったのではないか、という説があるそうですが、確たるものはないそうです。

<管理人の感想>
 近年ヒットした浅田次郎作「壬生義士伝」にも出てくる「石割桜」など、城の周囲にも史跡が点在しているのが特徴です。

<交通情報>
・電車:JR「盛岡」駅より徒歩15分ほど


探検日:2005年6月23日
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