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城・砦選択

時代区分織豊
戦国時代
分類区分旧国名近江
現在地滋賀県長浜市公園町

関連人物・豊臣秀吉 ・山内一豊
関連事件

長浜城

長浜城には「秀吉の出世城」というあだ名がつけられております。長浜城が発行しているパンフレットとかにも、たいていこの事が書かれております。長浜城は、天正2年(1574年)夏に、豊臣秀吉によって築城開始された城です。前年に小谷城の浅井長政を滅ぼした織田信長は、浅井氏の旧領の大部分を秀吉に恩賞として与えました。秀吉は一時小谷城に入りますが、天正3年秋頃には自ら築いたこの長浜城に移ったそうです。ちなみに、「長浜」というのは後からつけられた名前で、以前は「今浜」という名前だったそうです。秀吉が今浜に築いた城に移る際、「長浜」と改めたと言われています。ちなみに、「長浜」の「長」は主君・織田信長からとった、とも言われております。こういう経緯があるため、「秀吉の出世城」というあだ名がつけられたようです。
現在の長浜城は、昭和58年に再興されたもので、内部は歴史博物館となっております。そういう意味では、大阪城に似ていますね。長浜城は、本能寺の変の後、軍事拠点として活用され、その後は山内一豊が城主となりましたが、一豊が転封された後は次第に荒廃し、江戸時代になって彦根城が築かれると、近江の支配拠点としての役割を終えて破却されたそうです。築城時の史料はあまり残っておらず、彦根城築城のために石垣や木材はことごとく運び去られたため、完全に失われてしまいました。そのため、長浜城の様子などは不明な点が多く、現在の天守閣も想定された作られた部分が多いようです。

長浜城の歴史 略年表

南北朝時代

京極道誉の家臣・今浜六郎左衛門が創築
上坂氏が守将として在城

天正2年夏
(1574年)

秀吉が築城開始

天正3年秋
(1575年)

築城完了。「今浜」を「長浜」と改める

天正10年
(1582年)

清洲会議の結果、柴田勝豊(勝家の甥)が入城

天正13
(1585年)

山内一豊が城主となる

天正18年
(1590年)

山内一豊が遠州掛川城に転封され、次第に荒廃する

慶長11年
(1606年)

内藤信成(徳川家康異母弟)が城主となり、大修築を行う

慶長17年
(1612年)

信成の子・信正が城主となる

元和元年
(1615年)

内藤信正が摂津高槻城に転封され、廃城となる

昭和58年
(1983年)

市立長浜城歴史博物館として再興される

豊公園入口から見た長浜城

この日は快晴で暖かい行楽日和でした。豊公園内は桜が満開になっており、花見客でいっぱいでした。
城内の資料館は、秀吉に限らず、湖北の歴史を紹介しております。
また、最上階の展望台からは琵琶湖がよく見えます。展望台から見下ろす桜も見事でありました。

豊臣秀吉像

園内にたたずむ豊臣秀吉像。
威厳のある束帯姿でした。

琵琶湖の畔に位置するこの辺りは「豊公園」という公園として整備されております。湖岸の遊歩道なども整備されているゆえ、楽しみ方はいろいろありそうです。

<交通手段>
・電車:JRびわこ線「長浜」駅より徒歩5分ほど。
・車:北陸自動車道「長浜IC」より15分ほど。豊公園大駐車場(無料)あり。
<開館情報>
・入館料 大人(高校生以上):400円 小・中学生:100円
・開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
・休館日 12月27日〜1月2日以外は年中無休
・館内写真撮影・飲食・喫煙禁止

此度の長浜城探検に御同行いただいたみくろ殿、松永弾正殿に、この場を借りて御礼申し上げまするm(^_^)m

探検日:2004年4月10日
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