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城・砦選択

時代区分戦国時代分類区分城・砦旧国名越前
現在地福井県大野市城町

関連人物

・金森長近

関連事件

越前大野城

福井市の東、山に囲まれた大野盆地一帯は、戦国時代末期は一向一揆が支配しておりました。天正3年(1575年)、織田信長の命を受けた金森長近原政茂が大野郡を平定し、3分の2を金森が、残り3分の1を原が領有したと言われております。
長近は亀山に平山城の城郭を築くと同時に、「北陸の小京都」と呼ばれる所以となった短冊状の城下町を造り始めました。これが越前大野城のはじまりです。

<越前大野城の歴史>
天正14年
(1586)
金森長近、飛騨高山28000石に移封。以後、関が原の合戦まで城主が度々交替。
寛永元年
(1624)
結城秀康の三男・松平直政が5万石で大野に入封。以後、一族間で度々藩主交替。
天和2年
(1682)
土井利房(土井利勝四男)が4万石で大野に入封。以後、幕末まで土井家が藩主となる。
安永4年
(1775)
火災で本丸焼失。
寛政7年
(1795)
本丸再建。
天保13年
(1842)
7代藩主・土井利忠による藩政改革が始まる。
明治4年
(1871)
廃藩となり、城は破却される。

金森長近銅像

城は亀山という山の上にあります。山に登るには自分の足で整備された遊歩道をてくてく登るしかありません。といっても、そんなに険しい道のりではないので、散歩気分で登れます。ただし、昔は遊歩道はなかったので、代わりに急斜面を登る山道を登るしかなかったそうです。
左写真は、頂上の天守閣の向かい側にある金森長近の銅像。天守に展示されている肖像とよく似ておりました。ちょっと顔が大きいかな?
(写真提供:松永弾正殿)

こちらは中腹のあたりにある土井利忠像。ちょうど木の枝で顔が隠れてしまっています(^_^;)。顔が入るようにいろいろ場所を変えてみたのですが、結局ダメでした。

土井利忠像

名君と讃えられている土井利忠の藩政改革について、天守に解説パネルが展示されておりましたが、それを見て少し驚きました。まず
・藩船「大野丸」を建造し、海運業を行う
・藩店「大野屋」を全国展開

の二点。海に面していない盆地の小藩(4万石)が、藩船を作って海運業を行うとは驚きでありました。普段から海に親しんでいる藩ならともかく、山中の藩が海運をやるとは・・!残念ながら、わずかの活躍期間で大野丸は難破してしまったそうです。この大野丸の縮小模型が中腹の公園に置かれてあります。それに、商業の重要さに目をつけて藩で商売を行ったことも、かなり革新的なものではないでしょうか?
さらに驚いたことは、蝦夷地への進出・屯田。さらにサハリンで越冬して藩の準領地にしたこと。いわゆる「お殿様」階級の藩主に開拓者精神のようなものがあることに驚きました。この2点を見ると、拙者は坂本竜馬を思い出しました。
また、藩校を開き、国学のみならず洋学も積極的に取り入れていたそうです。

越前大野城天守閣

明治の廃藩で城の建造物は取り壊されましたが、昭和43年(1968年)に萩原貞氏の寄付により、往時を推定して2層3階の大天守と2層2階の小天守が再建されました。
内部は金森氏(金森長近・夫人肖像、長近使用具足など)・土井氏(歴代藩主使用馬具・什器など)遺品、江戸時代後期の藩政改革の説明パネルなどを展示する資料館となっております。
最上階からは盆地になっている街全体を見渡すことができました。本当に「盆地」でありました。
(写真提供:松永弾正殿)

<開館情報>
・入館料金
大人 100円 子供(小・中学生) 50円

・開館時間
午前9時〜午後5時 (10・11月は午後4時まで)

・休館日
12月1日〜3月31日 ←注意!冬季は閉館しております。

<交通手段>
・福井市街から車で1時間ほど。
・城の麓に数十台分の無料駐車場あり。

今回の越前大野城探検にご同行いただいた真下昌景殿、松永弾正殿にこの場を借りて御礼申し上げまするm(_ _)m

探検日:2003年7月19日

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