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大洲城

築城年 1610年ころ
分類 平山城
別名
築城者 宇都宮豊房、脇坂安治?
歴代城主 宇都宮家 → 戸田家 → 藤堂家
脇坂家 → 加藤家
史跡指定

・県指定史跡(指定)
・重要文化財:
台所櫓 高欄櫓 苧綿櫓 三の丸南隅櫓

現在地

愛媛県大洲市大洲903
(旧国名:伊予)
<左写真:再建された連結式天守閣>

略歴

・慶長元年(1596年)  築城開始?
・元和3年(1617年)  加藤貞泰が6万石で入城
・明治21年(1888年) 天守閣はじめ多数の建物が破却される
・平成16年(2004年) 天守閣を木造で復元

<大洲城の沿革>
 大洲城の始まりは、鎌倉時代末期に伊予国守護の宇都宮豊房が築いた「地蔵ヶ嶽(じぞうがたけ)城」だと考えらています。近世城郭としての大洲城が築かれたのは、意外なことに「不明」となっており、慶長元年(1596年)から元和3年(1617年)の間に築かれた、と考えられているそうです。大洲城は標高20mほどの地蔵ヶ嶽に築かれ、北面と東面は肱川(ひじかわ)を天然の堀と利用。さらに内堀と外堀に水を引きこんで二の丸、三の丸を区切って城下町を形成しました。
 戦国時代後期、小早川隆景らが大洲城を攻略した後、戸田勝隆藤堂高虎脇坂安治と城主が交代した後、元和3年(1617年)加藤貞泰が6万石で入城して以来、加藤氏の居城として機能してきました。

・明治維新後の大洲城
 明治21年(1888年)、いくつかの櫓を残し、多くの建築物と共に天守閣も解体されてしまいました。しかし、大洲城は明治時代に撮影された鮮明な天守閣写真や、江戸期に作られた天守閣の雛形が残されていたため、平成16年(2004年)に木造で天守閣が再建されました。四層四階の天守閣は、現存の台所櫓と高欄櫓と繋がっている「連結式天守」として、その威容を示しています。

<おすすめ見所>
二の丸南より天守閣と高欄櫓
 大洲市民会館前の駐車場(有料)から二の丸に入ることができます。そこですぐに目に入るのが、本丸にそびえ立つ天守閣と付属の高欄櫓が見えました。近世城郭らしく、手間の石垣がよく似合っています。

連結式天守閣(内側)
 二の丸をぐるっと回るようにして本丸に至ります。写真は、連結式天守閣の内側です。左の櫓が高欄櫓。二層目に欄干がついています。右の櫓が台所櫓で、現在はこちらが天守閣の入口になっています。二層目以上は板張りですが、一層目は白亜の漆喰塗りという、ちょっと変わったデザインになってました。



探検日:2007年12月23日
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