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六義園

時代区分 江戸時代
関連人物 柳沢吉保
現在地

東京都文京区本駒込6−16−3

昭和年28年4月 特別名勝 指定

<六義園の歩み>
 六義園(りくぎえん)は、元禄15年(1702年)に、当時の川越藩主・柳沢吉保が築造した大名庭園です。元禄8年(1695年)、江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉からこの地を下屋敷として与えられ、吉保自身が庭園の設計に携わり、池を造り、山を造り、滝を造るなど、「万葉集」や「古今集」に登場する各地の名勝を選んで、7年間の歳月をかけてこの庭園に再現させたそうです。言い換えれば、この国の名勝を集めたミニチュア、といったところでしょうか。六義園は、小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられ、その規模の壮大さは、吉保の権威の強さを象徴しているようにも思えます。
 「六義園」の名は、中国の古い書物・毛詩の六義「賦・比・興・風・雅・頌」という分類法を、紀貫之が転用した和歌の六体に由来しているそうです。この六義園は柳沢吉保の文学的教養と権勢を象徴する史跡の一つとなっているそうです。
 そんな六義園の命運は、吉保と一蓮托生だったようです。吉保が没し、柳沢家が幕府の要職から離れると、六義園を管理する者もおらず、荒れる一方だったそうです。しかし、その後再整備され、明治時代には岩崎弥太郎の別邸の一部となって、新たな命を吹きこまれたのでありました。昭和13年1月、市民の観賞・休養の地として、岩崎家から東京市に庭園を中心とした三万余坪が寄贈されました。同年10月、東京市の管理の下に公開され、現在に至ります。

<交通情報・入園情報>
・JR・地下鉄南北線「駒込」駅より徒歩7分ほど
・入園料:300円
・開園時間:9:00〜17:00(入園は16:30まで)
・休園:年末年始


探検日:2005年7月9日
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