築城年 | 1611〜18年 | 分類 | 平山城 | |
築城者 | 土井利勝 | |||
歴代城主 | 老中格 譜代九氏 |
|||
石垣形態 | 石垣は使用されておりません |
|||
現在地 | ||||
千葉県佐倉市城内町 |
||||
略歴 | ||||
・慶長16年(1611年) 徳川家康の命により、土井利勝が築城開始 |
<佐倉城の沿革>
1.千葉氏の時代
この地に最初に城が築かれたのは戦国時代の中ごろ。千葉氏の一族である鹿島幹胤(かしま みきたね)が築いたと伝えられています。当時は、鹿島山城と呼ばれていたそうです。この城の重要さは、千葉邦胤(ちば くにたね)も認識していたようで、本城をここに移す計画もあったそうですが、実行には移されませんでした。
2.江戸時代の佐倉城
関が原の戦いの後、この地に徳川家康が着目しました。家康は、土井利勝(どい としかつ)に命じ、印旛沼へ注ぐ鹿島川、高崎川を天然の外堀とすることができるこの台地に、城を築かせました。佐倉城の特徴の一つは、石垣が使用されていない点にあります。近世に築かれた城はほぼ石垣が使われておりますが、佐倉城だけは例外的に石垣がありません。工事は、慶長16年(1611年)正月から始まり、元和3年(1618年)ごろに完成となりました。築城開始年月がはっきりしているのに、完成した年月が曖昧なのが不思議なところです。
さて、その後の佐倉城は、江戸城の東の守りとして機能し、九家の老中格譜代大名が入封しました。最後に佐倉に入ったのは延享3年(1746年)に山形から移ってきた堀田家でありました。佐倉堀田藩からは、オランダ好きで有名な堀田正睦(ほった まさよし)が幕末に活躍した老中として有名です。
3.現在の佐倉城
明治維新ののち、佐倉城は陸軍の兵営となり、明治6年(1873年)には、城の建築物は全て破却されてしまいました。現在では、城跡内に立派な国立歴史博物館が建設され、城跡は公園として整備され、家族連れなどの憩いの場となっております。
<佐倉城の写真>
・本丸跡(奥の一段高くなっている部分が天守台跡)
<管理人の感想> 建築物はありませんが、堀の跡や土塁などは比較的良く保存されていると思います。綺麗な公園なので、天気のいい日に散歩すると気持ちいいです(^-^)
<交通情報>
・電車:JR「佐倉」駅より徒歩25分ほど。
・車:城跡内に駐車場があります。