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赤かん楼

現在地

台湾国台南市民族路二段212号

別名

・英語(蘭語?)表記
"Provintia" or "Providentia"

・台湾(中国)語表記
「赤かん楼」「番仔楼」「紅毛城」

・日本人が読むと・・
"Provintia"→「プロビンシャ」 
"Providentia"→「プロビデンシャ」
「赤かん楼」→「せきかんろう」
「番仔楼」→「ばんころう」
「紅毛城」→「こうもうじょう」

城分類平城?

台湾国第一級古蹟

関連人物

・鄭成功(オランダ人を駆逐)

略歴

・1653年 オランダ人が台湾統治のために築城

植物は南国。建物は中国風でした。



<赤かん楼の沿革>

 赤かん楼(「かん」の漢字は変換不能)は、1653年にオランダ人が台湾経営のために築いた砦のようなものであったそうです。
 当時、日本は徳川幕府の手によって鎖国体制が完成したため、世界情勢には疎くなってしまっております。中国では、漢民族の明王朝が、中国北方の女真族(後の「清」)によって滅ぼされようとしていました。インドでは、ムガル帝国がイギリスの植民地として侵食されつつありました。ヨーロッパでは絶対王政が全盛期を迎え、王家・宗教・経済などあらゆる要素が入り混じった戦乱が頻発しておりました。
 さて、中国に焦点をあててみましょう。清によって明は滅ぼされてしまいますが、明の有力武将・鄭成功(ていせいこう)は、生き残った皇族を擁して台湾に渡り、清に対して徹底抗戦の構えを見せます。鄭成功が台湾に渡っ時は、既にオランダが支配体制を敷いていたのですが、赤かん楼はじめ、各地の拠点を攻略し、台湾は鄭成功一派の拠点となりました。
 赤かん楼はオランダ人が建築したものなので、オランダ風建築になっておりましたが、鄭成功はこれを明風建築に改築し、台湾統治の拠点として活用したそうです。以後、鄭氏政権が滅び、清統治時代、日本統治時代を経て現在に至りますが、赤かん楼は当時の面影をよく残した文化財として、台湾の一級古蹟に指定されております。(現存している建物は、清時代に建設されたもののようです。)

<特徴>

鄭成功と降伏するオランダ人

プロビンシャ城時代の跡

<左写真>
 公園内にある銅像です。右から2番目の人物が鄭成功で、その両側に槍を持って鎧を着ているのが、おそらく鄭成功の部下。一番左でうなだれているのが降伏したオランダ人です。歴史的に功績のある人物を顕彰する意味で銅像を建てるのは、多くの国で共通している文化だと思いますが、同時に負けた方の銅像も立てて対比する、というのは日本ではあまり見られないですね。

<右写真>
 プロビンシャ城の跡として、赤レンガで造りの城壁が残されています。中国語の説明があったのですが、さっぱり読めませんでした(^_^;) 建物の中には、鄭成功の胸像や肖像画、台湾攻略戦の時の絵図や当時の軍船模型も展示されており、見応えは十分あると思います。ただし、残念なところは説明書のほとんどが中国語のみであること。英語が少し表記されているものはありますが、日本語はパンフレットの観光案内ぐらいにしかありません。

プロビンシャ城の模型。これが全貌なのか、それとも中核部分だけなのかはわかりませんでした。。

<開館情報>
・台南駅より徒歩15分ほど
・開放時間
日中 8:30〜17:30 夜間 17:30〜21:00
・入園料
全票50元 半票25元(←違いがよくわかりません(^_^;))

探検日:2005年2月25日
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