創建 | 建久元年(1190年)伝 | ||||
祭神 | 天之御中主神 |
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関連人物 | 真木和泉守保臣 |
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現在地 | 福岡県久留米市瀬ノ下町 |
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<水天宮の沿革と真木和泉守保臣>
水天宮(すいてんぐう)の始まりは、壇ノ浦の合戦から落ち延びた平家の女官・按察使局(あぜちのつぼね)伊勢が、筑後川の河畔の鷺野に逃れて水天宮を祀ったのが始まり、と伝えられております。その後、水天宮は何回か場所を移しましたが、慶安3年9月に久留米藩主の有馬忠頼が社地社殿を寄進して、現在の地に移ったそうです。
幕末に倒幕派の中心人物として活躍した真木和泉守保臣(まきいずみのかみやすおみ)は、水天宮の神職の家に生まれました。少年時代は、文武・音楽に励んで藩校の明善堂から表彰されたこともあったそうです。また、子供の頃から絵本「楠公記」を愛読しており、それが長じて尊王愛国の水戸学を学び、実践していったそうです。やがて、同志と共に久留米藩の藩政改革を企てましたが、失敗して蟄居の身となってしまいます。
しかし、平野国臣をはじめ、真木を慕う諸国の同志は蟄居先を訪問し、これらと連携して朝廷に上書するなど、尊皇攘夷運動は続いておりました。やがて、蟄居の屋を脱出し、東西奔走して歴史に名を残すこととなりました。
ここ、水天宮は、幕末を大きく変化させた真木和泉守保臣を育てた故郷なのであります。
<管理人の感想>
筑後川の畔にあり、河岸に立つとたいへん眺めがよいです。夏の花火大会には、観客で水天宮が埋め尽くされるそうです。
<交通情報・入園情報>
・電車:JR「久留米」駅より徒歩10分ほど