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彰義隊の墓

時代区分 幕末
関連人物 彰義隊
現在地

東京都台東区上野公園1番

<彰義隊の墓の由来>
 現在、西郷さんが立っており、動物園で賑わっている平和な上野公園は、幕末動乱の時期に大きな戦いがありました慶応4年(1868年)5月。江戸城が無血開城された後も、徳川政権の復帰を願う旧幕臣や、反新政府軍の武士、乱世で名を上げようという野望を持つ者たちによって彰義隊が結成され、上野に広大な敷地を持っている寛永寺に立て籠もって抵抗を続けていました。しかし、大村益次郎(おおむら ますじろう)率いる新政府軍は、武力差と用兵の巧妙により、わずか半日で彰義隊を壊滅に追い込みました。
 新政府軍に抵抗した彰義隊の隊士の遺体は、逆賊の汚名を着せられ、しばらくは供養することが認められませんでした。徳川慶喜の一橋藩主時代の側近で、彰義隊の生き残りである小川興郷(おがわ おきさと)らは、明治7年(1874年)にようやく新政府の許可を得て、戦死した隊士らの火葬場となったこの地に墓を建立しました。遺骨の一部は、南千住の円通寺に合葬されているそうです。
 以後、この墓は小川一族の手によって守られ、現在は東京都が歴史記念碑として管理しております。

<交通情報・入園情報>
・JR・地下鉄南北線「上野」駅より徒歩5分ほど


探検日:2005年4月29日
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