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高松城

築城年 1588年
分類 水城
別名 玉藻城(たまもじょう)  由来はこちら
築城者 生駒親正
歴代城主 生駒家 → 松平家
史跡指定

・国指定史跡(昭和30年3月2日 指定)
・重要文化財:
月見(着見)櫓 艮櫓 渡櫓 水手御門

現在地

香川県高松市玉藻町
(旧国名:讃岐)
<左写真:現存の月見(着見櫓)>

略歴

・天正16年(1588年) 生駒親正が築城開始
・天正18年(1590年) 高松城完成
・寛永17年(1640年) 御家騒動を起こし、生駒家は改易される
・寛永19年(1642年) 松平ョ重が12万石の領主として入城

<高松城の沿革>
 高松城を築城した生駒親正(いこま ちかまさ)は、天正15年(1587年)豊臣秀吉から讃岐一国17万6千石を与えられて入府しました。高松城の築城に取り掛かったのは天正16年(1588年)、完成したのは天正18年(1590年)です。
 生駒氏による治世は54年間でした。寛永17年(1640年)に生駒騒動と呼ばれる御家騒動により、生駒氏は讃岐を幕府に召し上げられ、出羽国矢島一万石に転封されてしまいました。その後、寛永19年(1642年)水戸光圀の兄で常陸国下館藩主の松平ョ重(まつだいら よりしげ)が東讃岐12万石の城主として入城しました。ョ重以降、明治維新まで11代228年間にわたり、高松は松平氏の居城として栄えたそうです。
 維新後、高松城は政府の所管となりましたが、城跡の一部が旧城主の松平家に払い下げられ、昭和になってから財団法人松平公益会の手を経て高松市に譲り受けられ、昭和30年5月5日から高松市立玉藻公園として一般に開放され、現在に至ります。

<特徴>

天守台と、高松駅の高層ビル
現在は、天守閣上の廟は解体されている

重要文化財の艮(うしとら)

 高松城の特徴の一つは、「水城」であることだと思います。瀬戸内海の海水を外堀・内堀・中堀に引き込んでおり、日本三大水城の一つに数えられているそうです。この特徴は、常陸から入城した松平ョ重にも着目され、「讃岐の国は海辺の国なれば、水練は武道の一班たるべし」と、藩士らに命じて水練に取り組ませたそうです。ョ重みずからも、入城の年の6月に、内堀で泳いだという記録が残っているそうです。この時の泳法は当時は「高松御当所流」と呼ばれていましたが、やがて「水任流(すいにんりゅう)」と名づけられ、現在でも水任流保存会の手によって残っているそうです。
ちなみに、城内の説明掲示板には、英語が付記されております。英語では、この当時の泳法を"swimming style of Matsudaira"と表記しておりました。
 高松城の天守閣は明治に破却されてしまっていますが、移築された艮櫓、現存している月見櫓など、建築物は綺麗に保存されております。また、大正時代に造園された庭もあり、散歩にはうってつけの場所となっております。
 また、天守台石垣の積みなおし工事に伴い、天守台の発掘調査が行われ、かつての天守閣の礎石など、基礎工事の部分が明らかになりました。天守閣復元のプロジェクトも検討されているそうです。

<交通情報・入園情報>
・車:東入口に駐車場あり
・入園料:大人(16歳以上)200円

掲載日:2005年1月2日
追記:2008年
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