史跡探検記表紙 > 場所で探す > 奈良県選択
城・砦選択

多聞城

時代区分織豊・戦国時代分類区分城・砦旧国名大和
現在地奈良県奈良市法蓮町

関連人物

・松永久秀

関連事件

多聞(たもん)城が築かれたのは戦国時代。近畿地方で梟雄と恐れられた松永久秀まつなが ひさひで)によって築かれました。現在の地図でいうと、奈良公園や東大寺の西にある小高い山の上にあり、奈良市街を一望できる場所にあります。この城は大和の要衝の一つとして機能し、築城者の松永久秀はもちろん、織田信長も滞在したことがあります。
しかし、天正8年(1580年)、大和一国を与えられていた筒井順慶つつい じゅんけい)が、織田信長から大和郡山城を除く全ての城を破却するように命じられたため、多聞城も廃城となりました。

多聞城跡碑

若草中学校の正門を入るとすぐに階段があり、その傍らに多聞城跡の石碑が立っております。中学校は小高い山の上に建っており、東大寺はじめ、奈良の市街地を見下ろすことができました。きっと、多聞城がそびえていた当時も、奈良の中心部を眼下におさめることができたのでありましょうな。

城を見ていると「多聞」という名詞を見かけますよね。「多聞」とは、石垣の上に作られた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれております。弓矢や鉄砲を納めておいて、戦になったら格子窓を開けて敵兵を狙撃するなど、防衛機能も兼ね備えておりました。その「多聞」の名前は、ここ多聞城に由来しているそうです。

<交通手段>
・近鉄「奈良」駅より徒歩20分ほど。

探検日:2004年1月31日
侍庵トップページへ戻る