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丹波篠山城

築城年 1609年 分類 平山城
築城者 松平康重
歴代城主 松平家 → 青山家
史跡指定 国史跡(昭和31年12月28日 指定)
現在地

兵庫県篠山市北新町
(旧国名:丹波)
<左写真:二の丸大書院>

略歴

・慶長14年(1609年) 徳川家康の指示により、松平康重が築城開始
              この年にほぼ完成
・明治6年(1873年)  廃城処分

<丹波篠山城の沿革>
 慶長5年(1600年)、関が原の戦いで勝利した徳川家康は、天下を磐石のものとするため、潜在的にまだまだ力を残している豊臣家の勢力を削ぐ政策の一環として、大坂城を取り囲むように近畿地方の要所要所に城を築いていきました。丹波篠山城も山陰道を抑える役割を期待され、築城の名手・藤堂高虎の縄張りにより城普請が始まりました。
 家康は実戦で役に立つ城を望んでいたらしく、藤堂高虎に城の完成を急がせ、天守閣は無し、櫓などの建築物も後回しにして、堀・石垣の完成を優先したそうです。実際、その後も天守閣は築かれることはありませんでした。西国大名に対する備えとして、城主は松井・藤井・形原の松平三家、最後は青山家のいわゆる譜代大名が入城し、質素剛健な城として機能していたそうです。

<おすすめ見所>

二の丸大書院

 城の象徴ともいえる天守閣が無い丹波篠山城ですが、その代わりの象徴ともいえたのが、二の丸の大書院だったそうです。この大書院は二条城の大書院を模して作られたと言われるほど、たいへん立派な造りであったそうです。この大書院は廃城処分後も残っておりましたが、1944年に焼失しておりました。しかし、平成12年(2000年)、史料に基づいて大書院が復元されました。

天守台

現存の天守台

 天守閣は築かれませんでしたが、天守台はしっかり残っております。天守閣を立てる予定がないのに、台だけ作るのは無駄なような気もしますが・・・。

丹波篠山城については、篠山市のホームページ(こちら)にも紹介されております。こちらも併せてご覧ください。

<おまけ>
「丹波篠山」と言うと、今の健康ブームの流れもあり、「黒豆」がかなり有名です。城の北側には黒豆関連商品がたくさん宣伝されております。土産・休憩にちょうどいいです(^-^)

探検日:2006年5月5日
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