築城年 | 1295年 1601年 | 分類 | 山城 | |
築城者 | 吉見頼行、坂崎成正修築 | |||
歴代城主 | 吉見家 → 坂崎家 → 亀井家 | |||
史跡指定 | 国指定史跡 | |||
現在地 | ||||
島根県鹿足群津和野町後田 |
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略歴 | ||||
・永仁3年(1295年) 鎌倉幕府が能登の豪族・吉見頼行を派遣して築城させる |
<津和野城の沿革>
津和野(つわの)城は、鎌倉幕府が能登の豪族・吉見頼行を封じて築かせたことが始まりであるそうです。その目的は3度目の元寇に備えることであった、と考えられています。築城は永仁3年(1295年)に始まり、正中元年(1324年)に完成した、と伝えられています。築城期間がだいぶ長かったんですね。当時は石垣造りではなく、土塁と空堀が城を守っていたそうですが、縄張りについてはその後もほとんど変わることがなかったそうです。
津和野城を近世城郭として完成させたのは、慶長6年(1601年)に入城した坂崎出羽守成正。城山の山頂部を削平し、石垣を整え、出丸を増築し、天守を構えた姿は、近世の山城に相応しいものであったと伝えられています。坂崎家は、元和2年(1616年)に千姫騒動で幕府に反抗したため改易処分とされ、元和3年(1617年)に因幡国鹿野から亀井政矩(かめい まさのり)が4万3千石で入城しました。以後、津和野は亀井家の城下町として発展し、明治維新を迎えることになります。そして、明治7年(1874年)、廃城処分となり、その役割を終えました。
<おすすめ見所>
・堀切の跡
津和野城の入口には、麓からロープウェイに乗っていきます。かなりの急斜面だったので驚きました。これだけでも、堅城ぶりをうかがわせます。城内に入る前に姿を見せるのが、こちらの堀切(ほりきり)。堀切というのは、尾根と直角方向に掘られたミゾのことです。こうすることで、空堀のようになるので、攻撃側の進撃を妨害することが期待される防衛構造になっています。こちらの堀切は、鎌倉時代の築城当初のもの、と考えられているそうです。
近世城郭内は、立派な石垣群がそびえ立っている様子が圧巻でしたが、その写真は残念ながら紛失してしまいましたので、公開できません(涙)。交通の便が良くないのが難点ですが、是非、御自分の眼でご覧になってみてください。