築城年 | 1604年〜 1616年 |
分類 | 平山城 | |
築城者 | 森忠政 | |||
歴代城主 | 森家 → 松平家 | |||
現在地 | ||||
岡山県津山市山下 |
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史跡 | 昭和38年(1963年)国史跡指定 |
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略歴 | ||||
・慶長9年(1604年) 津山城築城開始 |
<津山城の沿革>
1.森忠政の築城
津山城を築いた森忠政(もり ただまさ)は、慶長8年(1603年)に美作18万6500石の国主となりました。忠政は、吉井川と宮川の合流点を見下ろすことができる小高い山・「鶴山」の地の利に着目し、慶長9年(1604年)から「鶴山」を「津山」と改称して、城と城下町の建設に取り掛かりました。この間、江戸城や駿府城の普請や、大坂の陣などに動員されたために工事期間は長引き、元和2年(1616年)に完成しました。
2.松平家の入城と明治維新
森家は跡継ぎが立てられなかったために4代で断絶し、津山城には代わって元禄11年(1698年)に10万石で松平家が入城しました。松平家の治世では、領地の入れ替えなどで石高が変動することもありましたが、幕末には美作の大半と讃岐国小豆島の一部を合わせた10万石と、美作の幕府領のうち1万6700石を預かっていたそうです。津山松平家は9代続きましたが、明治維新を迎え、明治6年(1873年)には廃城処分が決定されました。
3.現在の津山城
破却後の津山城は明治のうちに県有地となり、明治32年(1899年)には公園として整備する条件で津山町に払い下げられました。翌年から城跡公園としての整備が進められ、昭和初期には桜の名所となったそうです。
また、平成16年(2004年)には、築城400年記念事業として進められていた備中櫓復元工事が完了しました。備中櫓は、全国でもたいへん珍しい構造と機能を持っていたそうです。奥向御殿のさらに奥に位置しており、櫓でありながら全室畳敷、天井張りという、御殿建築になっております。
<津山城の写真>
・入口の森忠政像
<管理人の感想> 築城400年記念事業で復元された備中櫓がたいへん綺麗で美しいです。交通の便が良くないのが難点ですが、一見の価値はあるでしょう。
<入城・交通情報>
・入城料:大人210円
・開園時間:4月〜9月 8:40〜19:00 10月〜3月 8:40〜17:00
・電車:JR「津山」駅より徒歩15分ほど
<付記>
・城の北に森家の庭園「衆楽園」があります。