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宇和島城

築城年 1596年
分類 平山城
別名 鶴首城
築城者 藤堂高虎
歴代城主 藤堂高虎 → 富田信高 → 伊達家
史跡指定

・国指定史跡
・重要文化財:天守閣

現在地

愛媛県宇和島市丸之内
(旧国名:伊予)
<左写真:現存の天守閣(一の門より撮影)>

略歴

・慶長元年(1596年)  藤堂高虎が築城開始
・慶長13年(1608年) 富田信高が入城
・慶長18年(1613年) 富田信高が改易される
・慶長19年(1614年) 伊達秀宗が10万石で入城する

<宇和島城の沿革>
 宇和島城は、宇和群7万石の領主・藤堂高虎慶長元年(1596年)に、築き始めた城で、慶長6年(1601年)にはほぼ完成したそうです。宇和島城は、板島丸串城の跡地であった標高74mの城山に築かれました。現在、城山は宇和島の町中にそびえていますが、当時の城山は海に突き出た半島のような形になっていました。高虎はこの半島に堀をうち、石垣を積み、天守閣と数十の櫓を築いて近世城郭としての形を整えました。
 高虎が今治に転封された後、慶長13年(1608年)富田信高が入城しましたが、慶長18年(1613年)に改易処分となりました。その後、慶長19年(1614年)伊達政宗の庶長子・伊達秀宗が宇和群10万石の領主となり、城を宇和島城と改称。以後、伊達家が明治維新まで居城としました。

<おすすめ見所>
三層三階の現存天守閣
 国の重要文化財に指定されている天守閣。日本に12しかない現存天守閣の一つです。三層三階の層塔型天守閣は、他の有名な城に比べると小ぶりで可愛い印象があります。

三の門跡
 宇和島城は国指定史跡なので、城郭の遺構はよく残っています(植物が元気に伸び放題にもなっていますが)。井戸丸から帯曲輪に至る三の門跡は、苔むした石垣がいい雰囲気を醸し出していました。



探検日:2007年12月23日
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