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吉野朝宮址

時代区分太平記分類区分その他旧国名大和
現在地

奈良県吉野郡吉野町吉野山

<吉野朝宮址の歴史>
 吉野山にど〜んとそびえる蔵王堂の北西300mほどのところに、かつての南朝(吉野朝)の皇居が置かれていました。延元元年(1336年)12月に京都を脱出した後醍醐天皇は、吉水院宗信らに迎えられて、一時は吉水院に身を寄せましたが、実城寺(じつじょうじ)に移りました。実城寺が御座所に選ばれた理由として、大小20にも及ぶ吉野山の寺院の中でも、実城寺が最も大きかったことがあげられるそうです。後醍醐天皇は寺号を「金輪王寺」と改め、実城寺は南朝の本拠地として機能することになりました。しかし、正平3年(1348年)1月高師直の軍勢の攻撃を受け、周囲の寺社もろとも皇居にも火をかけられ、吉野は炎上しました。しかし、南朝はさらに山奥の賀名生に逃れ、南北朝の争乱はまだまだ続くことになったのです。
 時は流れ、江戸時代になると、徳川幕府は「金輪王寺」の寺号を没収し、元の「実城寺」に戻ります。さらに、明治時代になると廃仏毀釈のあおりを受け、実城寺は廃寺となりました。
 現在、この付近は「吉野朝宮址」として整備が進められています。

<管理人の感想>
 拙者が訪れた時は、工事の真っ最中であり、中には入れませんでした。工事が終わったら、また行きたいです。

<交通情報など>
・蔵王堂より徒歩5分ほど

探検日:2005年2月12日
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