時代区分 | 太平記 | 分類区分 | 古戦場 | 旧国名 | 大和 |
・国宝 本堂 |
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現在地 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山 |
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国宝指定の蔵王堂。 |
<護良親王の戦い>
元弘の変で捕らえられた後醍醐天皇は隠岐に流されてしまいましたが、第二皇子の護良親王は吉野の僧兵を味方につけ、挙兵しました。これに対し、鎌倉幕府は3万もの軍を吉野に差し向け、激しい攻防戦が行われたのが、ここ吉野でした。護良親王は蔵王堂を本陣とし、幕府の大軍を相手に奮戦しましたが、多勢無勢、形勢は徐々に不利になっていきました。篭城戦最後の夜、親王は蔵王堂の前庭で酒宴を催したと伝えられています。
親王の家来に、村上義光(むらかみ よしてる)という武士がいました。最後の酒宴が終わった朝、義光は親王の鎧兜を身に付け、蔵王堂の二天門の高櫓に登って幕府軍の前に姿を現します。これは、義光が幕府軍の注意を引いている間に、親王を吉野から落ち延びさせる、という策戦でありました。大勢の幕府軍の目の前にして、義光は腹を一文字に裂き、壮絶な最期を遂げるのでありました。その首は、幕府軍に検分されてから偽首とわかり、打ち捨てられてしまいます。
義光の息子、村上義隆(むらかみ よしたか)は父と共に死のうとしましたが、親王の供をするように諭され、親王に付き従いましたが、途中で追っ手を防ぐために戦って討死しました。
村上父子はじめ、多くの犠牲を払い、護良親王は吉野から脱出することに成功したわけです。吉野には、義光・義隆父子の墓が立っております。
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村上義隆の墓。 墓の前には、金属製(?)の武者人形がありました。 |
<交通情報など>
・ロープウェイ「吉野山」駅より徒歩10分ほど