安政の大獄

<概要>

勅許を得ないままの条約調印、将軍継嗣の強引な決定。これらを推し進めた大老の井伊直弼に対し、雄藩大名や尊皇攘夷論達は激しく非難した。一方の井伊も、批判者に対しては将軍家の一族であろうと公家であろうと容赦なく罰し始めたのである。
まず、御三家・水戸藩の前藩主・徳川斉昭は水戸にて永蟄居。御三卿の流れを汲む越前藩主・松平慶永(春嶽)らは隠居・慎を命じられた。また、越前藩士の橋本左内、松下村塾の吉田松陰、儒学者の頼三樹三郎らい みきさぶろう)らは死罪となった。この事件を安政の大獄あんせいのたいごく)という。

その後の展開

井伊の弾圧政策は尊攘派の反感を強め、後に大事件に発展する。


もうちょっと詳しく

安政の大獄の主な処罰者をまとめると、以下の通り。

大名

・徳川斉昭(前水戸藩主):水戸にて永蟄居
徳川慶篤とくがわ よしあつ)(水戸藩主):差控え(登城停止)
徳川慶勝とくがわ よしかつ)(尾張藩主):隠居・慎
一橋慶喜(一橋家主):隠居・慎
山内豊信(容堂)やまのうち とよしげ(ようどう))(土佐藩主):隠居・慎
・松平慶永(春嶽)(越前藩主):隠居・慎

幕臣

岩瀬忠震(作事奉行):隠居・慎
永井尚志(軍艦奉行):隠居・慎
川路聖謨(勘定奉行):隠居・慎

藩士

・橋本左内(越前藩士):死罪
・吉田松陰(長州藩士):死罪
梅田雲浜うめだ うんびん)(元若狭小浜藩士):獄死

公家

近衛忠煕このえ ただひろ)(左大臣):辞官・落飾・慎
鷹司輔煕たかつかさ すけひろ)(右大臣):辞官・落飾・慎
鷹司政通たかつかさ まさみち)(前関白):落飾・慎
三条実万さんじょう さねつむ)(前内大臣):落飾・慎

その他

・頼三樹三郎(儒者):死罪

上記の通り、主だった人物だけでもかなりの数である。幕臣・藩士に限らず、大名や公家まで多数処罰対象にしたこの事件は、異例の事態と見ていいだろう。
なお、三条実万は三条実美さんじょう さねとみ)の父。頼三樹三郎は尊王論を唱えた頼山陽らい さんよう)の息子である。
吉田松陰は私塾・松下村塾の塾頭で、高杉晋作たかすぎ しんさく)はじめ、多くの尊攘・討幕の志士を輩出しており、師の思想は弟子達に受け継がれた。

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