前年1月から始まった戊辰戦争は、明治2年(1869年)5月18日、北海道は箱館(現在の函館)で榎本武揚(えのもと たけあき:34歳)ら旧幕府軍が降伏したことによって終結した。
榎本ら旧幕府軍は前年10月に北海道に上陸し、松前藩を破って箱館を占拠していた。この年の3月には、宮古湾に停泊していた新政府軍の艦隊を攻撃するなど、積極的に軍事行動に出ていた。新政府軍は戦力を集中させ、4月に北海道に上陸して箱館に向けて進軍する。旧幕府軍は要所要所で防戦したが力及ばず、5月11日には箱館市街を奪われ洋式要塞の五稜郭(ごりょうかく)に立て籠もった。新政府軍参謀の黒田了介(くろだ りょうすけ:のち、清隆(きよたか))は榎本らに降伏を勧告し、榎本らはこれを受け容れて5月17日に亀田村にて降伏が約定され、翌18日、無条件降伏となった。
この一連の北海道での戦いは、箱館戦争と呼ばれており、戊辰戦争最後の戦いとなった。
幕末に京都で活躍した新選組の副長・土方歳三(35歳)は、鳥羽・伏見の戦いで敗れ、関東に戻ってきた後は、旧幕府軍と合流して戊辰戦争を戦っていた。4月に新政府軍が上陸した時から、防衛の一方面を指揮して奮戦し、よく戦って新政府軍を撃退していた。しかし、他方面の旧幕府軍は敗走したために、やむを得ず五稜郭に退却する。5月11日の新政府軍による箱館総攻撃で、新選組隊士らが戦う弁天台場が孤立してしまった時、土方はこれを救援するために出陣したが、新政府軍に阻まれて壮絶な戦死を遂げた。
五稜郭の建設が始まったのは1857年。完成したのは1864年である。日米和親条約で箱館が開港されることになったため、幕府が蝦夷地の防備を強化するために西洋式要塞の建設に着手したことが始まりであった。日本の近世的な城とは異なって大砲などの重火器を用いた戦でも的にならないように、内部の建物は背の低い物しか建てられなかった。
現在でも特徴的な星型の形を残しており、函館市の公園・観光地として保存されている。
<参考>
・日本全史(講談社)
・新詳日本史図説(浜島書店)
・幕末維新 新選組と新生日本の礎となった時代を読む(世界文化社)
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