亀山社中結成

<概要>

慶応元年(1865年)5月。肥前は長崎の亀山で坂本竜馬(31歳)らが薩摩藩の後援を受けて亀山社中(後の海援隊)を結成した。坂本らは神戸海軍操練所で、勝海舟から航海術を学んでいたが、禁門の変で勝は罷免され、この年の3月に操練所は閉鎖されていた。
亀山社中は、長崎のグラバー商会から薩摩藩への武器輸入を代行するという貿易商社であると同時に、私設海軍であるという特異な集団であった。さらに坂本は同郷の中岡慎太郎(28歳)と協議して危機に瀕している長州藩と薩摩藩の同盟を考えた。しかし両者は8月18日の政変以来敵対関係にあったため、すぐに同盟まで漕ぎつけるのは不可能であった。そこでまずは地均しとして、薩摩藩の名義で長州藩の武器・艦船の購入を斡旋することから始めたのである。このような経緯を経て薩長の融和が進み、翌年には薩長同盟が成立することになる。また、第二次長州征討においては、坂本自ら軍艦を指揮して小倉口攻撃に参加し、私設海軍としての機能も果たした。
亀山社中が海援隊と改称されるのは2年後の1867年4月で、土佐藩所属となった時のことである。この時のメンバーは約20人ほどであった。

<参考>
・日本全史(講談社)

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