奇兵隊の誕生

<概要>

文久3年(1863年)6月7日。長州藩は高杉晋作(25歳)の献策を容れて奇兵隊(きへいたい)の創設を命じた。奇兵隊とは、非正規軍という意味で(「妙な兵隊」ではない)、藩の正規軍には入れない下士・陪臣・足軽・小者・農工商階級の者を募集して編成された。長州藩ではこの年の5月10日から下関海峡を通航する外国船に対して砲撃を繰り返していたが、反撃を受けて藩船が撃沈されたり、陸戦隊に上陸されるなど、対外的な危機感と共に民衆の郷土防衛意識が高まっていたという。奇兵隊に続き、7月には金剛隊、10月には遊撃隊、集義隊、12月には八幡隊などが結成され、これらは「諸隊」と呼ばれた。また、村役人の発起で自主的な郷土防衛隊となる農兵隊も結成された。
諸隊は正規軍とは異なり、大砲・小銃を中心とする集団戦術に優れ、やがてその力は武士の正規軍を上回るようになる。この後、長州藩は政治的・軍事的な危機を迎え、諸隊は尊攘派の主力としてその力を存分に発揮することになる。


奇兵隊隊士の内訳

奇兵隊の隊士数は総勢622名。その身分内訳を見てみると
・武士 44%(272名)
・農民 38%(237名)
・町人 4%(25名)
・社僧 4%(25名)
・その他10%(63名)
となっている。

<参考>
・高等学校新日本史B(桐原書店)
・新詳日本史図説(浜島書店)
・日本全史(講談社)

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