慶応2年(1866年)1月21日。薩摩藩と長州藩の間で、秘密の軍事同盟が締結された。薩摩藩からは西郷隆盛(40歳)、大久保利通(37歳)、小松帯刀(こまつ たてわき:37歳)の3名。長州藩からは木戸孝允(きど たかよし:34歳 改名前は「桂小五郎」)。そして、仲介者として土佐藩脱藩浪人・
坂本竜馬(32歳)である。
1月8日、薩摩藩の要望により木戸孝允が密かに上洛し、薩摩藩邸に入った。当初は、話し合いがなかなか進まなかったが、19日に坂本竜馬が到着してから急速に進み、21日に密約が結ばれた。
1.開戦になったときは薩摩藩は2000の兵を東上させ、京坂両所を固める。
2.戦いが長州藩に有利となれば、薩摩藩は朝廷にはたらきかける。
3.万一長州藩が敗色濃くなっても、薩摩藩はいろいろと尽力する。
4.開戦にならず、幕府が撤兵した時は、薩摩藩は朝廷に奏上して、長州藩の冤罪を解くように努力する。
5.薩摩藩が東上した時、場合によっては一橋・会津・幕府と戦う。
6.冤罪が解けた後は、薩長協力して皇国のために努力する。
この密約は両藩の一般藩士にも知らされず、幕府も気づかなかったという。この秘密同盟により、幕府瓦解は急速に進むことになる。