岩石城まつり

第15回 2005年10月16日

 2005年秋から、仕事で九州勤務となりました。九州の地は、拙者にとってほぼ「未知の世界」のようなものでした。子供の頃、親に連れられて阿蘇山に行ったことや、長崎のグラバー園に行った記憶がいくつか残っているぐらいのものだったんです。そんな「新天地」と呼ぶに相応しい九州で、しばらく生活することになったわけです。引越し当初は、様々な変更手続きやら職場の挨拶やら、いろいろと忙しい時間を過ごしておりました。しかし、そんな中でも忘れなかったことがありました。そう、それは・・・

武者祭!!

今は、忙しい日常生活を過ごしていても、これだけは忘れません(笑)。
仕事やら手続きやらがひと段落ついてから早速、九州の祭りの調査に乗り出したわけです(笑)
そして、記念すべき九州の武者祭参加第一弾は福岡県の山中にて開催される「岩石(←「がんじゃく」と読みます)城まつり」となりました。また、嬉しいことに、「ゆるり」の九州メンバーである左京亮さんが今年も参加する、ということになりました(^-^)
というわけで、九州の武者祭に・・・・

いざ、出陣!!


2005年10月16日 天気:晴
 この日の朝、左京亮さんが車で「岩石城まつり」が開催される添田町まで行く、といことになったため、拙者も途中で拾ってもらうことになりました。まことにありがとうございます
m(^-^)m

さて、「そもそも、添田町ってどの辺にあるの?」
と、思われる方も多いのでは?拙者も、参加するまで全く知りませんでした(^_^;)。地図ではこちらになります。
豊前小倉の南方の山中にあり、大分県との県境に位置しております。なので、福岡県といっても、福岡市からはかなり遠いです。こうして改めて地図を見てみると、福岡県は豊前・筑前・筑後3国にまたがっており、かなり広いことがわかります。

次に、「岩石城って、あんまり聞かないけど、何があった城なの?」
と、思われる方も多いのでは?拙者も、参加するまでなんとなくしかわかりませんでした(^_^;)。
岩石城は、戦国大名・秋月家の支城の一つであり、たいへん堅固なことで有名であったそうです。しかし、中央で覇権を確立した豊臣秀吉が、ついに九州平定に乗り出し、天正15年(1587年)4月1日に15万もの秀吉軍が岩石城に襲い掛かりました。岩石城を守る秋月家の3000ほどの兵は奮戦しましたが、多勢に無勢であり、わずか1日で陥落した、という歴史があるのです。「岩石城まつり」の由来は、ここにあるということです。

添田町のマークです

参加者は「本陣隊」「岩石城隊」「豊臣隊」の3部隊に分けられました。拙者は、「岩石城隊」に編入されました。
左の写真は「岩石城隊」武者の兜なのですが、前立てと吹き返しについている紋が少し変わっていますよね。これ、何の紋だと思いますか?

答えは、写真上でマウスを静止させると出てきます(^-^)

ちなみに、用意された甲冑一式は、ほとんどが添田町が所有しているものなんだそうです。全部で50領ぐらいはありました。

同じ紋が入った桶側胴に、やはり同じ紋が入った「岩石城隊」の背旗を付けて、岩石城隊武者の出来上がりです。

ちなみに、拙者は岩石城隊の中の「鉄砲隊」所属となりました。メインの会場で行われる寸劇に、ちょこっとだけ出演することができるそうです。これはラッキー(^-^)

拙者が持っている火縄銃は、おそらくレプリカだと思いますが、ズシっと重量がありました。片手では扱えないぐらいの重さでしたね。

集合場所の体育館にて。

中央の左京亮さんは、御自分の甲冑で参加。「本陣隊」配属となりました。

左の武者は、今年の謙信公祭打ち上げで惟新殿に紹介されたS君(仮名:HN決まったら教えてくだされ!)です。拙者と同じく「岩石城隊」配属となりました。

最後列右端が左京亮さんです

参加者もぼちぼちと集まり始め、着付け開始。
着付けが終わった後、寸劇にちょっと参加する鉄砲隊は、係りの人から説明を受けました。

のんびりゆったりまったりした時間が流れる中、「本陣隊」「岩石城隊」「豊臣隊」の隊ごとに記念撮影が行われました。
左写真は本陣隊です。さて、ここで第2問。
左京亮さんはどこでしょうか?
(答えは、写真上でマウスを静止させてください。)

 この後本陣隊は、城を模した美術館にて出陣式を執り行ったそうです。その間、岩石城隊と豊臣隊は、行列出発地点にてしばらく待機しておりました。
 空は雲ひとつない快晴。見事な秋晴れです。周囲に見える山々の緑と空の青が、綺麗に目に映ります。暑くなく、寒くなく、絶好の祭り日和です。・・・・いかん、眠くなってきた・・・

「我こそは上杉謙信!信玄、覚悟!!」

「おお、敵将が一人で乗り込んできたぞ!!
討ち取れ〜〜!!」


と、一人で川中島合戦をやってしまいました(^_^;)。
実はこれ、軽トラックにつけた「絵」なんです。いわゆる「デコトラ」ってやつでしょうか?

岩石城にはあまり関係ありませんが、軽トラックの前面には森蘭丸の兜の絵がついていました。

そして、こちらは軽トラックの背面。

(このおじさん、どこかで見たような・・・・??)

と、思いつつ、武者行列出発式が始まりました。

ステージに上がったのは、本陣隊の大将(?)である町長さんです。
岩石城まつりの特徴の一つは、町長さんが熱心である、ということが一つ上げられると思います。
岩石城まつりにかける思い、添田の歴史、そして町おこし・・・。
町長さんの話を聞いていて、拙者はそう感じておりました。

さて、景気付けに勝鬨をあげて・・

いざ、出陣!!


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