さて、千鳥線の終点から再び太鼓に合わせて行進が始まります。
太鼓が鳴ると、少し緊張したせいか、鳥肌が立ってきました。実は、事前に配られた要項によると・・
この区間でマスコミからインタビューが入ります。自分の役の名前、経歴、役に対する思い入れを考えておいてください。
ということなのでした。おそらく47人全員にインタビューするのは時間的に無理。となると、やはり有名な役の人とか、目立つ人がインタビューされるのでは・・・?と、拙者がインタビューされる可能性は低いと思ったのですが、それでももしマイク向けられたらどうしよう・・、と不安な気持ちがあったのも事実。
レポーターの人と、カメラの人が近づいてきたときはさすがに焦り、行進のリズムが崩れそうになりましたが(^_^;)、拙者の前方を行進していた方にインタビューが行ったので安心しました。
この間、沿道のおじさんから
「おう、勝田新左衛門!ご立派!」
と、拍手が・・(感涙)。まことにありがとうござるm(^_^)m。
そして、行列はついに終わりへ・・。
義士祭り本部前にて太鼓に合わせた行進は終了。47士は大石内蔵助様を中心にして半円形に本部前に集合して勝ち鬨をあげました。
大石内蔵助「我ら積年の思い、今無事本懐を遂げた・・。一同!」
46士「オー!!」(それぞれの装備品を掲げて答える46士)
大石内蔵助「勝ち鬨じゃ!」
47士「エイ!エイ!オー!
エイ!エイ!オー!
エイ!エイ!オーー!!」
勝ち鬨を終え、市役所に引き上げる途中でお出迎えしてくださった皆様。 |
市役所に戻った47士は衣装を脱いで、解散となりました。ある参加者の方が一言。 |
赤穂城大手門前の茶店(?)にて食べた討ち入りそば。ちなみにこちらは600円でありました。 |
義士祭りの際、屋台に出ていた討入りうどん。こちらは写真の通りのお値段でござった。 |
袖と裾にギザギザ模様の入った羽織を着た犬。犬も300周年を祝っております(笑) |
わらじ作成の様子。今回拙者らが履いたわらじは、赤穂市の老人会(だったと思う)の方々が作ってくださいました。このように表に出ない多くの方々の力が300周年祭を支えているんだな・・、と実感。 |
<謝辞>
300周年という記念の年に、赤穂市内だけでなく、拙者のような市外の者にも参加の機会を設けていただいた義士祭り関係者の方々に、この場を借りまして深く御礼申しあげます。
また、このレポート作成にあたって写真を提供していただいたRICHARD殿、松永弾正殿、真下昌景殿、まことにありがとうございます。御三方の協力なしでは、このレポートはもっと簡素なものとなったでしょう。