川内はんやまつり

2005年11月6日

3.島津 vs 豊臣

はんや祭りの舞台は、なんと国道3号線!!
国道を止めてしまうのです!
また、行列・合戦劇が繰り広げられる通りは、あちこちにスピーカーが設置されております。なので、音響設備が整っているんですよね!これには驚きました。
はんや祭りの合戦劇は、ほぼ同じ内容のものが2回行われます。1回目は、泰平橋の北側。2回目は、泰平橋の南側の商店街です。お客さんが多いのは、2回目の商店街、ということでした。1回目が通しの練習みたいなものでしょうか。ちょうどいいですね(^-^)
史実にのっとり、豊臣軍は国道3号線を北から南下。島津軍は、南から北上し、向かい合います。
そして、合戦の火蓋が切って落とされます。

ナレーション

 時は天正14年。九州の大半を支配下に収めた島津氏は、大友氏の豊後の国へ進攻を開始し、次々に城を落としていった。しかし、秀吉は天下統一を妨げる島津を許さず、九州征伐として24万の大軍を率いて九州に上陸。日向方面と肥後方面から島津を攻撃した。しかし、根城坂の合戦で、島津軍は大敗。秀吉は勢いに乗って薩摩に攻め込み、出水、阿久根は一戦も交えずに降伏した。
 しかし、薩摩川内の平佐城主・桂忠昭は400あまりの兵で秀吉軍先鋒隊1万2千の軍を相手に応戦した。天正15年5月、秀吉自身が川内まで本陣を移動させる。ここに、鎌倉時代よりの名門・島津氏と天下統一を狙う秀吉の最後の決戦が行われようとしていた。

秀吉
「島津の兵隊ども、この音に腰を抜かそうぞ。景気付けに一発大筒を撃て!!」

ということで、ゴロゴロ曳かれて現れた大筒。

ドカーン

と、期待通りの轟音を轟かせてくれました!
これに対し、島津軍は芦北鉄砲隊(※)が火縄銃の実演で応戦します。

(写真提供:ほにゃぢ殿)

※ 芦北鉄砲隊
1634年、肥後細川藩が芦北地方の防衛のために、加藤清正の旧臣など浪人で編成した鉄砲隊。明治3年まで存在した。平成15年に再結成され、火縄砲術の試技で優秀賞を獲得。今年の夏にはゲスト招待としてロンドンで実演。

物見の戦い

両軍の物見による騎馬武者戦!
やはり騎馬武者はカッコイイ!!
拙者の立ち位置からは、あまりよく見えなかったのが残念なところでした。

(写真提供:ほにゃぢ殿)

島津鉄砲隊

続いて、両軍から鉄砲隊(自衛隊の皆様)による射撃戦!
地面から火花が吹き出ます。
ローソンの前は戦場の真っ只中です!

(写真提供:ほにゃぢ殿)


(写真提供:ほにゃぢ殿)

(写真提供:ほにゃぢ殿)

槍隊の戦い、抜刀隊の戦い。戦場は激しさを増していきます。

がんばれ島津!!

おっと、拙者の役は豊臣方だった(^_^;)

いよいよ最強部隊の登場です。豊臣からは、お子さんと外人女性で編成された部隊が、島津兵を一閃して薙ぎ倒します。
そして、島津軍からは噂の薩摩最強「おごじょ」隊(自衛隊の方々)が登場!
豊臣兵が大勢で斬りかかりますが・・・・・
結果はマウスに画像を当ててみてください。

さっきは間違えて島津を応援してしまったので、今度は豊臣の応援を。
と、いうことで、豊臣軍からは小西行長、石田三成の2将が島津兵を切り伏せます。こちらも、演じるのは自衛隊の皆様。

よしよし、豊臣軍が優勢じゃ(^-^)

(実際には、島津軍からも桂忠昭、島津歳久の2将が豊臣兵を切り倒すのですが、文章の流れ上、あえてカットシマシタ。スミマセン。。)

そして、大観衆が見守る中(ちと大げさ)、国道3号線を舞台に、島津軍と豊臣軍の最後の戦いが繰り広げられました!
写真左端から突進してくる島津豊久(左馬之助殿)。
その勢いと迫力に、豊臣兵は包囲網を突破されてしまいます。

(写真提供:ほにゃぢ殿)

豊臣の赤い三連星、ほにゃぢ殿、弾正殿、拙者の3人で
ジェットストリームアタック!!
しかし、島津豊久殿、
この攻撃もあっさり受け流してしまいます。

おのれ!黒い悪魔め!!

(写真提供:ほにゃぢ殿)

チャンチャンバラバラ、撃剣を繰り返すうちに、ほにゃぢ殿が豊久殿に手を取られてしまいます。
振りほどこうと、必死にもがくも、怪力・豊久殿に抑えられてピンチ!
これを助けようとした拙者も、豊久殿に刀を向けられ、最後の一歩が踏み込めず!
弾正殿は、隙を見つけようと、そろりそろり移動中。

(写真提供:ほにゃぢ殿)

もう一度、ジェットストリームアタックを!!

しかし、この得意技は豊久殿に見切られておりました。
拙者は胴に一撃打たれてあえなく転倒!
これを乗り越えて飛び掛ったほにゃぢ殿も、胴を斬られてしまいます。
一人残った弾正殿は、袈裟斬りを受けてあえないご最期。

(写真提供:ほにゃぢ殿)

さすがは豊久殿!島津一族の名に恥じない腕前じゃ!!

起き上がった拙者は、なおも豊久殿に斬りかかりますが、先ほど受けた一撃のダメージが大きく、すぐに動きが鈍ります。
そして、豊久殿にトドメの袈裟斬りを受けて、これまたあえない最期を遂げるのでした。

赤い三連星、敗れたり。

(写真提供:ほにゃぢ殿)

 戦場中央では、シシンの方々による島津義弘と豊臣兵の戦いが行われておりました。槍を使って巧みに動く豊臣兵ですが、武勇で知られた義弘殿にはかなわず、切り伏せられてしまいます。最後の戦いは、島津軍の勝利で幕を閉じました。

 奮戦する島津軍を見た秀吉。泰平寺宥印を呼び寄せ、所領の安堵を条件に、和睦を図りました。島津軍もそれを受け入れて和睦が成立。最後は、両軍により勝鬨が挙げられ、薩摩川内はんやまつり2005は無事に閉幕となりました。

泰平寺宥印と秀吉

泰平寺宥印役を務めるのは、泰平寺の住職さんでした。

(写真提供:ほにゃぢ殿)


前ページへ戻る   次ページへ