おお、こちらのページにもいらしましたか・・。こちらでは、2003年の石和川中島合戦で落ち武者となった、ある足軽の覚書を紹介いたしておりまする・・。足軽ゆえ「落ち足軽」といった方が正確かもしれませぬな。まぁ、そんなことはたいした問題ではござらぬ。せっかくこのページに来たのなら、ついでにこの「落ち足軽」の手記をご覧になりなされ・・。。
・・・合戦が終わり、集合場所の石和南小に帰るはずでありました。拙者らは知り合いの方と写真を撮ったりしていたゆえ遅れましたが、他の参加者の方々はほとんど帰ってしまわれたのでござる。拙者は主君・新発田尾張守様に付き従って帰路につきました。この時、共に尾張守様に従ったのは大江松寿丸殿、橘千剣殿でありました。
雨が降っておりました。主従4人は石和南小に向かったのでありますが、途中で迷子になってしまったのでございます。拙者は、このまま国に帰れなくなるのではないか、と心配でなりませんでした。見慣れぬ小道を歩き、行き止まりに合い、北も南もわからずさまよっていたのであります。やっとのことで大きな道に出ました。そこには見た事が無い大きな信玄公銅像がありました。そう、ここは甲斐の国。主従は石和で敗れた落ち武者一行なのであります。途中、スパーマーケットという現代の商店を見つけました。落ち武者がいる!と密告されるかもしれぬとも思ったのですが、主従はこのままさまよい続けるよりはいいと考え、その現代の商店に入って道を尋ねたのでございます。
商店にいた方々は、落ち武者一行の姿を見てたいそう驚いたようでありますが、その中から一人の親切なおば様が、石和南小の場所を教えてくださったのでございます。主従は逆方向に行っておりました。
幸い密告されることもなく、優しいおば様のおかげで主従はやっとの思いで石和南小に到着したのでございます。既に多くの方々が帰国の準備を整えている中、主従4人は濡れ鼠のようになって帰ってきたのでございます。そんな主従を笑顔で迎えてくれたのが、一足先に到着していた横内殿でありました。
その後、拙者は先輩である惟新入道様と体育館入り口でお会いし、惟新様に手伝ってもらって雨がしみ込んだ鎧を脱ぎ、やっと帰国することができたのでございます。
「2003年石和川中島 新発田尾張守隊の足軽某覚書より」