石和川中島合戦 戦国絵巻

第25回 2003年開催

初陣!石和川中島編
BGM:(ロッシーニ作曲)ウィリアムテル序曲
composed by あき

合戦場の全体風景。右側には笛吹川が流れており、写真には映っていませんが川をはさんだ対岸に観客席が設置されております。観客席から合戦場には橋が一つだけ架けられており、舞台装置の一つになっております。写真右上に見えるのは武田軍諸将が並んでおり、左上が武田軍の足軽達でござる。
拙者ら上杉軍は写真左側のあたりに整列し、武田軍本陣と向かい合いました。

合戦場に入場した部隊は部隊名をアナウンスされます。高校生軍団は、自分らの隊が呼ばれると大きな声で
「オォ〜〜!!」
と、やる気満々。拙者らの部隊も、呼ばれたときに御大将が音頭をとって
「オォ〜〜!!!」
よし、戦意は十分でござる!
御大将は大将席へ移動しますが、副将・足軽は陣の前方に待機。新発田隊の前にもどんどん友軍が並び、人と背旗でほとんど前が見えなくなってしまったのでござる(^_^;)(左写真)。

古式武道奉納

全軍が入場した後、役員の方からの挨拶、それから式典が始まります。「敵に塩を送る」の由来になったという「献塩の儀」、それから古式武道の奉納が行われたのですが、拙者の位置からは背中と背旗ばかりが見えて、ほとんど見えず。なんとか隙間から写真を撮ろうとがんばったのでありますが、あまりいい写真は撮れませんでした(残念)。
古式武道奉納の写真を提供していただいた真下昌景殿、感謝でござる。

続いて登場したのが米沢藩稲富流砲術隊。武田軍陣地から上杉軍に向かって発射されました。参加経験のある方々から「すごい音がする」と聞いていましたが、なるほどズド〜ンと、腹に響く砲声でありました。拙者の隣に座っていた自称「ノミの心臓」の明智殿は音がするたびにビクっとしておりました。
拙者「ワハハ明智殿、大丈夫でござるか?」
と言った拙者も油断していたときは明智殿と一緒にビクっ!(^_^;)。
その後、武田軍の出陣式「三献の儀」が行われたのですが、やはりほとんど見えず。続く上杉軍の出陣式「武蹄式」は拙者らの後方で行われたゆえ、ちょこっと隊列を離れて撮影してきました。

「武蹄式」が終わったらいよいよ合戦でござる!合戦太鼓が響き渡り、上杉軍は「車懸かりの陣」と呼ばれる戦法で武田軍を強襲するのであります。
<ちょっと解説>
ここで、この祭りの題材になっている川中島合戦について簡単に説明を。
信玄公は、山上に陣取って動かない上杉軍を倒すために「啄木鳥戦法」という作戦をとりました。啄木鳥は木の穴に隠れた虫を食べるとき、反対側に回って木を突付きます。すると、虫は驚いて穴から出てくるので、そこを見逃さず正面に戻って出てきた虫を食べるとのこと。「啄木鳥戦法」はこれを応用したもので、武田軍の一部が夜陰に紛れてひそかに上杉軍が陣取る山の背後に回りこんで攻撃、驚いて山を降りた上杉軍を、待ち構えていた武田軍本隊が攻撃するというものであります。このお祭りでもその部分が採用されており、武田軍のうち、高坂昌信の隊が一時的に橋を渡って戦場を離脱するのでござる。
しかし、謙信公は武田軍のこの作戦を察知。別働隊が移動しているうちに山を降り、油断している武田本隊を強襲するという作戦に出ました。しかし、これは時間との戦いでもあります。別働隊が戻って来たら本隊と別働隊に挟撃されてしまうからです。謙信公は、別働隊が戻ってくる前に全力で武田本隊を(できれば信玄公を)討ち取らねばなりませんでした。勝負を急ぐ上杉軍がこの時とった戦法が「車懸かりの陣」と呼ばれるもので、次から次へと部隊を投入し、間断なく敵を攻撃するものらしいです。

上杉軍は係員に導かれて整列、予め分けられていたグループ順に武田軍本陣に突進して引き返します(この時はまだ走るだけ)。新発田隊は第四グループだったのでありますが、自分の順番を間違える隊が現れたために、第二グループが突進したあとに最前列に立ってしまったのであります。
(むむ、こういうときはどうすべき?臨機応変で第三グループで突進するか、最初の指示通りに第四グループの番まで待つか??)
「第三隊!かかれ〜!!」
拙者が迷っているうちに号令が。そして新発田隊は迷う拙者を残して駆け出してしまったのでありました。取り残された拙者は出発直前に渡された槍を構えて、後ろの隊と一緒に次の合図で突進!
(写真提供:黒龍斎殿)

次の出撃に備える上杉軍

(我こそ、一番槍を〜〜!)
敵軍右翼に向かって駆け出したのでありますが、地面が砂浜みたいで足がとられやすい状況でありました。最初はなんとかがんばって走っていたのでありますが、敵前まで来て足をとられて転倒(T_T)。
武田の足軽に笑われ、笑撃の石和デビューでござった(^_^;)。

やれやれ・・(写真提供:三浦介星友殿)
背旗の旗印は逆さま。
竹光は抜け落ちかけております。
いや〜、派手に転んだものでござる(^_^;)。
さて、気を取り直して次行こう〜!

武田軍本陣を突き抜けた上杉軍は、友軍が順番に突進している間に戦場の脇を通って元の位置に戻ります。この時に、はぐれた拙者も新発田隊に帰還。最初の反省を活かすため、2回目の突進は全力疾走ではなく、こけないように気をつけながら仲間と共に武田軍中央を通り抜けたのでござる。と、通り抜けるとそこには武田軍諸将がずらりと座っておりました。拙者らはその前を悠々と歩き、戦場の脇を通って元の位置に帰還。

車懸かりの陣は、各隊2回の突進で終了。武田軍必死の防戦でなかなか勝負がつかない戦況に、焦った謙信公は自ら単騎で敵陣に切り込むのでござる。川中島合戦の名場面であります。
左写真は出陣前の謙信公。拙者の位置からでは、出陣前と帰ってきた謙信公は間近で見れたのですが、肝心の信玄公に斬りかかるシーンは遠くてあまりよくわかりませんでした。

演出部隊

謙信公の単騎切り込みが終わったあと、観客席すぐ側の橋の付近で演出舞台による戦いが繰り広げられるのであります。合戦は最高潮を迎えまする。
(注:車懸かりの時から、演出部隊の殺陣は行われていたそうです。)

一方、戦場中央では4騎の騎馬武者による騎馬戦が繰り広げられます。観客や一般参加の視線は橋付近の演出部隊と騎馬武者に注がれます。拙者は写真撮影で大忙しでござった。(のわりにはあまりいい写真は撮れなかった・・無念)

演出部隊・騎馬武者・帰ってきた高坂隊の登場シーン動画(約250kB・音声はなし)遠景なので雰囲気しか伝わらないです(残念)


入り乱れる人と旗。大乱戦でござる。
(写真提供:真下昌景殿)

高坂隊が武田本陣に帰還すると、いよいよ参加者全員による総懸かりであります!拙者の目的は、実際この戦いで戦死した信玄公の弟・武田信繁諸角虎定山本勘助の3人のうちの誰かと戦うことでありました。
係員「かかれ〜!!」
「ウオォ〜〜!!!」

先端が尖っていないとはいえ、槍は危険と判断した拙者は竹光を抜き放ち、自然に雄たけびを上げて敵陣に突進!この時には新発田隊の仲間のことなどは頭になく、迎撃してくる武田軍の中から目標の大将旗を探して一人で前進しておりました。

引き上げじゃ〜

引き上げの指示が出たため、両軍共に陣に帰還。
(写真提供:真下昌景殿)

こちらに伸びてくる槍やら刀やらをよけたり払ったりして進むうちに、いつの間にやら武田本陣まで到達。武田本陣は上杉軍兵士であふれ、副将の鎧とは異なった鎧武者数名が信玄公の周りに人垣を作って必死の防戦の最中でござった。拙者は目標の敵将を探したのでありますが、どこにもいない
武田の武将達も地元民とはいえ、一般参加者とほぼ同じなので、まっしぐらに謙信公に向かっていったのでござろう。信玄公周囲の人込みに入り込む気にはならなかったのでありますが、ちょうどいい具合に足軽ではない武田の将と思われる方を発見!刀を構えていざ勝負!・・しようとしたのですが、拙者が構えたら驚かれてしまったゆえ、戦えませんでした。。そうこうしているうちに「退け」の合図が出たゆえ、両軍共にいったん引き上げとなります。

いたるところで戦闘

運営本部テントの前も戦場。でも、皆楽しそうでござる(^o^)
(写真提供:真下昌景殿)

またしても部隊からはぐれた拙者ですが、引き上げる途中で新発田隊の仲間を発見。
「皆様どちらにいらした?拙者は・・」
「武田の本陣は人がいっぱいで・・・」
と話しているうちに2回目の「突撃」命令が。ろくに話もしないうちに、拙者は反射的に武田本陣へと駆け出してしまったのでありました。
(諸角豊後守殿、山本勘助殿はどちら!武田典厩信繁殿はいずこにおわす〜?)

今度は迫ってくる武田勢の旗を探したのでありますが、旗が多くてさっぱりわからず。結局目標の武将は最後まで発見することができなかったのでありました。2回目の突撃で拙者がやったことは「足軽同士の戦い」。敵将を求めてさまよっているうちに、高校生ぐらいと思われる武田の足軽と遭遇。拙者の顔は楽しさで笑顔だったと思うのですが、彼もまた楽しそう。おお、いざ勝負!と構えると彼もまた刀を正眼に構えてくれたではありませぬか。よし!いざ勝負!
拙者が間合いを詰めて切りかかると、彼は刀で拙者の一撃を防御。しかし、拙者の二撃目は彼の胴を払ったのでありました。先々週の越前で目の当たりにした上様の胴払いでござる。(勝った!)と思ったのもほんの一瞬。拙者は背後から何者かによって二太刀斬りつけられたのであります。
ぐは!無念・・・
哀れ、新発田隊の足軽・山内兵馬はこうして川中島の土に還ったのでありました・・。。

と、本物の戦ならこうなるのでしょうが、これは現代のお祭り。拙者はその後も懲りずに敵将を求めてさまよい続け、時間切れを迎えたのでありました。

最後の総懸かり終了後に、係員の方に頼んで撮ってもらった新発田隊の集合写真。
合戦場を走り回っていたときは気付きませんでしたが、この頃雨脚はますます激しさを増しておりました。
雨の中の戦国絵巻、まことにお疲れ様でした! 合戦終了後、わざわざお会いに来ていただいた雅之介様、ありがとうございました。すぐに気付かなくてごめんなさいm(_ _)m。
また、橋の近くでお声をかけてくださったこたつ様、ありがとうございました。拙者が石和のことを初めて知ったのが、こたつ様のホームページだったゆえ、今回お会いできてまことに嬉しかったです(^o^)!

橋上の戦い

真下殿「せっかくだから橋の上で撮りましょう」
拙者「それはようござるな〜」
というわけで撮った一枚。兜首を狙う足軽と迎え討つ武将の対決、といったところでござろうか?
演出部隊や高坂隊は、この橋で大活躍されたのでござる。
それにしても、あと3回は総懸かりをやりたかった・・・。

こうして、初の合戦形式祭り参加となった第25回 石和川中島合戦戦国絵巻幕を閉じたのでありました・・??

今回のレポートに限ったことではありませぬが、これはあくまで一参加者である拙者の視点から書かれたものであり、この祭りの楽しさを一面的にしか表現できておりませぬ。特に、今回は歴史系ホームページを持っていらっしゃる、実に多くの方が参加されております。他の方々のレポートも読んでいただければ、より多面的にこの祭りの面白さがわかるのではないかと思います。

・新発田尾張守長敦役 松永弾正殿の「多聞城茶会 戦歴の間
・演出部隊 惟新入道殿の「惟新伝心 歴史祭り体験記
・武田軍 高坂弾正昌信 別働隊 こたつむり殿の「戦国放題こたつ城 石和川中島合戦戦国絵巻レポート

<謝辞>
今回の御大将・松永弾正殿はじめ、副将・一条信龍殿、家老役・黒龍斎殿、自前鎧・真下昌景殿、明智日向守光秀殿、大江松寿丸殿、ガモちゃん殿、橘千剣殿、横内鞠雄殿、お世話になりました。まことにありがとうございました。
また、今回お会いできた方々には写真を撮ってもらったり、面白い話を聞かせていただいたりと、お世話になりました。またどこかでお会いできる機会がありました、その時はよろしくお願いいたしますm(_ _)m。
それと、総懸かりの時に拙者と戦ってくれた武田足軽の方、ありがとうございましたm(^_^)m。
最後に、祭りの企画・運営に携わった石和川中島戦国合戦絵巻実行委員の方々に深く御礼申し上げます。


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