合戦場の全体風景。右側には笛吹川が流れており、写真には映っていませんが川をはさんだ対岸に観客席が設置されております。観客席から合戦場には橋が一つだけ架けられており、舞台装置の一つになっております。写真右上に見えるのは武田軍諸将が並んでおり、左上が武田軍の足軽達でござる。 |
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合戦場に入場した部隊は部隊名をアナウンスされます。高校生軍団は、自分らの隊が呼ばれると大きな声で | |
全軍が入場した後、役員の方からの挨拶、それから式典が始まります。「敵に塩を送る」の由来になったという「献塩の儀」、それから古式武道の奉納が行われたのですが、拙者の位置からは背中と背旗ばかりが見えて、ほとんど見えず。なんとか隙間から写真を撮ろうとがんばったのでありますが、あまりいい写真は撮れませんでした(残念)。 |
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続いて登場したのが米沢藩稲富流砲術隊。武田軍陣地から上杉軍に向かって発射されました。参加経験のある方々から「すごい音がする」と聞いていましたが、なるほどズド〜ンと、腹に響く砲声でありました。拙者の隣に座っていた自称「ノミの心臓」の明智殿は音がするたびにビクっとしておりました。 |
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「武蹄式」が終わったらいよいよ合戦でござる!合戦太鼓が響き渡り、上杉軍は「車懸かりの陣」と呼ばれる戦法で武田軍を強襲するのであります。 |
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上杉軍は係員に導かれて整列、予め分けられていたグループ順に武田軍本陣に突進して引き返します(この時はまだ走るだけ)。新発田隊は第四グループだったのでありますが、自分の順番を間違える隊が現れたために、第二グループが突進したあとに最前列に立ってしまったのであります。 | |
(我こそ、一番槍を〜〜!) |
武田軍本陣を突き抜けた上杉軍は、友軍が順番に突進している間に戦場の脇を通って元の位置に戻ります。この時に、はぐれた拙者も新発田隊に帰還。最初の反省を活かすため、2回目の突進は全力疾走ではなく、こけないように気をつけながら仲間と共に武田軍中央を通り抜けたのでござる。と、通り抜けるとそこには武田軍諸将がずらりと座っておりました。拙者らはその前を悠々と歩き、戦場の脇を通って元の位置に帰還。 |
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車懸かりの陣は、各隊2回の突進で終了。武田軍必死の防戦でなかなか勝負がつかない戦況に、焦った謙信公は自ら単騎で敵陣に切り込むのでござる。川中島合戦の名場面であります。 |
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謙信公の単騎切り込みが終わったあと、観客席すぐ側の橋の付近で演出舞台による戦いが繰り広げられるのであります。合戦は最高潮を迎えまする。 |
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一方、戦場中央では4騎の騎馬武者による騎馬戦が繰り広げられます。観客や一般参加の視線は橋付近の演出部隊と騎馬武者に注がれます。拙者は写真撮影で大忙しでござった。(のわりにはあまりいい写真は撮れなかった・・無念) |
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入り乱れる人と旗。大乱戦でござる。 (写真提供:真下昌景殿) |
高坂隊が武田本陣に帰還すると、いよいよ参加者全員による総懸かりであります!拙者の目的は、実際この戦いで戦死した信玄公の弟・武田信繁や諸角虎定、山本勘助の3人のうちの誰かと戦うことでありました。 |
引き上げの指示が出たため、両軍共に陣に帰還。 (写真提供:真下昌景殿) |
こちらに伸びてくる槍やら刀やらをよけたり払ったりして進むうちに、いつの間にやら武田本陣まで到達。武田本陣は上杉軍兵士であふれ、副将の鎧とは異なった鎧武者数名が信玄公の周りに人垣を作って必死の防戦の最中でござった。拙者は目標の敵将を探したのでありますが、どこにもいない。 |
運営本部テントの前も戦場。でも、皆楽しそうでござる(^o^) (写真提供:真下昌景殿) |
またしても部隊からはぐれた拙者ですが、引き上げる途中で新発田隊の仲間を発見。 |
今度は迫ってくる武田勢の旗を探したのでありますが、旗が多くてさっぱりわからず。結局目標の武将は最後まで発見することができなかったのでありました。2回目の突撃で拙者がやったことは「足軽同士の戦い」。敵将を求めてさまよっているうちに、高校生ぐらいと思われる武田の足軽と遭遇。拙者の顔は楽しさで笑顔だったと思うのですが、彼もまた楽しそう。おお、いざ勝負!と構えると彼もまた刀を正眼に構えてくれたではありませぬか。よし!いざ勝負! |
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最後の総懸かり終了後に、係員の方に頼んで撮ってもらった新発田隊の集合写真。 |
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真下殿「せっかくだから橋の上で撮りましょう」 |
こうして、初の合戦形式祭り参加となった第25回 石和川中島合戦戦国絵巻は幕を閉じたのでありました・・??
今回のレポートに限ったことではありませぬが、これはあくまで一参加者である拙者の視点から書かれたものであり、この祭りの楽しさを一面的にしか表現できておりませぬ。特に、今回は歴史系ホームページを持っていらっしゃる、実に多くの方が参加されております。他の方々のレポートも読んでいただければ、より多面的にこの祭りの面白さがわかるのではないかと思います。
・新発田尾張守長敦役 松永弾正殿の「多聞城茶会 戦歴の間」
・演出部隊 惟新入道殿の「惟新伝心 歴史祭り体験記」
・武田軍 高坂弾正昌信 別働隊 こたつむり殿の「戦国放題こたつ城 石和川中島合戦戦国絵巻レポート」
<謝辞>
今回の御大将・松永弾正殿はじめ、副将・一条信龍殿、家老役・黒龍斎殿、自前鎧・真下昌景殿、明智日向守光秀殿、大江松寿丸殿、ガモちゃん殿、橘千剣殿、横内鞠雄殿、お世話になりました。まことにありがとうございました。
また、今回お会いできた方々には写真を撮ってもらったり、面白い話を聞かせていただいたりと、お世話になりました。またどこかでお会いできる機会がありました、その時はよろしくお願いいたしますm(_ _)m。
それと、総懸かりの時に拙者と戦ってくれた武田足軽の方、ありがとうございましたm(^_^)m。
最後に、祭りの企画・運営に携わった石和川中島戦国合戦絵巻実行委員の方々に深く御礼申し上げます。